「ヨコハマトリエンナーレ2017」参加作家インタビュー・ジョコ・アヴィアント

Posted : 2017.09.21
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8月4日に開幕した、ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」。会期は11月5日まで、折り返し点に近づいてきました。アーティスト38組と1プロジェクトが世界の「いま」と向き合う、この現代アートの国際展を未体験の方は、ぜひ横浜に足を運んでみてください。当WEBマガジンが行う参加作家インタビュー、今回はインドネシアのアーティスト、ジョコ・アヴィアントさん。横浜美術館のエントランスを入るとすぐに飛び込んでくる竹でできた大きな作品を、3週間滞在制作しました。そのテーマとは? 制作の背景と、竹という素材や母国インドネシアの現状への思いについて伺いました。

ジョコ・アヴィアント 《善と悪の境界はひどく縮れている》2017
ヨコハマトリエンナーレ2017展示風景

 

しめ縄を竹で彫刻?

 ——横浜美術館の正面入り口を入ると、この大きな作品が出迎えてくれますね。巨大なので驚きますが、よく見ると竹がうねるようにしなやかに編まれていて、何か生き物のようにも見えます。この作品のテーマを教えてください。

日本には「注連縄(しめなわ)」というものがあると聞いて、インドネシアの神山の雲を思い浮かべました。それで自分なりの「しめ縄」を作ってみたのです。私は彫刻家なので、新しい形を作りだすということに興味があります。では新しい「しめ縄」の形はどういうふうに発想していけるのかと考えたわけです。日本のしめ縄の場合の材料は藁ですが、私が扱う材料は竹です。どちらも自然の素材であるところは共通していますし、私には竹という素材にも思い入れがあります。本来であればしめ縄は絶対に地に着いてはいけないものですが、私が作った「しめ縄」はもう地面に落ちてしまっているんです。これは神話を失ってしまったインドネシアの現状への批判を籠めたものです。神話という偉大なるものの失墜ということを表わすためには、はかりしれなく大きいものでなければならないと思います。それでこのように巨大なインスタレーションを作ることになりました。

ジョコ・アヴィアント《善と悪の境界はひどく縮れている》2017
ヨコハマトリエンナーレ2017展示風景 撮影:田中雄一郎
写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会

 

 

——インドネシアのジャワ島のご出身ですが、故郷にはしめ縄に似たものがあるそうですね?

私の生まれたジャワ島にはスメル山という活火山があります。3000メートルを超えるジャワ島の最高峰で、聖なる山とされています。大地と天とをつなぐ山なのです。といってもジャワ島ではすべての山は聖なるものとされているのですが、それは日本でも同じなのでしょう?そのスメル山の山頂近くにはいつも雲がたなびいていて、その雲が天と地との境界なのです。私はこのスメル山にたなびく雲と、日本の神社の鳥居にかかるしめ縄に共通するものを感じました。しめ縄は、神社の社(やしろ)、つまり神域と下界や現世とを隔てる結界の役割を果たすもの。スメル山の雲も、日本の神社のしめ縄も、聖と俗の境界で、宙に浮かんでいなければならないものです。最初は鳥居を作って、そこからつり下げようと考えたのですが、この共通点の意味に気がつき、表現を考え直しました。くるくると巻いている雲の形を作り、その神話である雲が、この横浜美術館の真ん中で地面に落ちてしまっているのです。

 

——地面に落ちた「しめ縄」は何を意味しているのですか?

神話がすでに聖なるものではなくなってしまったという、インドネシアの現状です。 インドネシアの伝統的な精神性、自然との密接な関わりかた、まわりの人々を含めた環境への関心がどんどん希薄になってきていることは、アーティストとしてどうしても見過ごせない疑念を感じています。
私は東ジャワ人の父親と西ジャワ人の母親とのハーフなんです。ジャワ島のなかでも東と西では言語も文化もまったく違います。でもどちらにもたくさんの神話があって、豊かな精神性を持った土地でした。神話のなかに、生きるための智慧や教えがふんだんに溢れていたのです。けれどもインドネシアに急速な近代化の波が押し寄せ、精神的なものや自然環境を大事にする文化が軽視されてきています。自国の人々に立ち止まってもらいたい、そして世界の人々にインドネシアの豊潤な精神性に目を向けてもらいたいとの願いを籠めています。

 

インドネシアの竹と日本の竹、その違いと共通性

——竹という素材についてもその願いと関係しているのでしょうか?

日本もインドネシアも竹の文化がありますよね。しかし、日本の洗練された職人技と較べると、インドネシア人の竹との付き合い方はもっと日常的なものです。西ジャワ人は誰もが竹のことは知り尽くしていて、建築材に使ったり、籠や生活用品を編んだりする身近な素材です。私もその背景を持って育ちました。けれども私は、そのありふれた日常的な素材を使ってまったく違う、日常とかけ離れたものを作ってみたかったのです。捨てられてしまうようなありふれた素材から何か新しいものを生み出したかったのです。そして同時に、あまりにも日常的で気づかないうちに、どんどん減ってきている竹の森の実情に目を向けなければという思いもあります。竹という素材は、私にとって近代化と自然環境に関する問題意識の象徴でもあるのです。

 

——日本の竹ではなく、インドネシアの竹を素材にして制作されたのですね?その違いはどんなところがありましたか?

インドネシアでは「竹は人に似ている」と言われています。完全に平坦であっても、急過ぎる斜面でも、生育できないからというのがその理由です。でも、日本の竹は平らな場所に生えていますね。インドネシアの竹は緩やかな斜面に生えるのです。この違いがあるのは気候のせいかもしれませんね。日本には四季がありますが、インドネシアには雨期と乾期の2つの季節しかありませんから。
最初は日本の竹を素材にしようと考えて、ヨコハマトリエンナーレのチームからさまざまな種類の竹をインドネシアに送ってもらい、実験をしてみました。4月に来日したときも、横浜美術館の学芸員とともに日本中のあちらこちらの竹を探して回ったのですが、日本の竹では私の手法が通用しないことがわかったのです。私の手法は、竹の節(ふし)はそのまま残して、節と節の間を繊維に沿って切れ目を入れてほぐしていくのですが、日本の竹は節の間に切れ目をいれると節を貫通して割れてしまうんです。日本の竹は柔軟でよくしなるのに、いったん切れ目を入れるといっぺんに裂けてしまうのです。私の作品のためにはどうしても節がつながったままであることが必要でしたので、日本の竹を素材に使うことは断念しました。そしてインドネシアの竹を使うことにしたのです。船でコンテナに積んで日本に到着したときには茶色く変色していて心配しましたが、しばらく空気に触れると青々とした色を取り戻して、制作することができました。インドネシアから持ち込んだ竹は2千本以上になりました。

 

人々と協同制作すること、コミュニティとつながること

——滞在制作するにあたって、インドネシアから竹細工の職人さんを連れてこられたそうですが、どういう作業だったのですか?

元は竹細工の職人さんたちだったのですが、今はバイクタクシーの運転手で生計を立てている5人に制作を手伝ってもらいました。私の故郷のバンドンには豊かな竹林があったのですが、自動車工場を作るからと次々に竹林がなくなってしまい、彼らも竹細工づくりでは暮らして行けずに、インドネシア特有の三輪車バイクタクシー(オジェック)の運転手になっていました。土地とともに生きて行く生活だったのが、竹林が失われると同時に工業化の波に飲まれてしまって生活が変貌しているのは、私にとってとても悲しい現実なので、私の作品づくりを通して失われてしまった伝統を活性化する、再興するということを実現したいと思っています。実際に、作品づくりに関わってくれた本人たちが自分たちの腕が役に立つことを喜んでくれたのはもちろん、その家族やコミュニティにまで影響が及んできたことには、予想外のことで驚かされました。もう一度職人の腕を生かしたい、もう一度竹を扱う仕事をしたい、という動きがあらわれてきて、少しずつ広がってきているのです。

 

——インドネシアでも自然環境に対する思いには変化が見られてきたのでしょうか?

2004年のスマトラ沖地震による津波の大災害は、インドネシアの人たちの目が覚め、自然環境のことにもっと関心を払うべきだという意識が生じるきっかけになったと思います。インドネシアでは1883年にクラカタウの大噴火という世界を揺るがすような大災害がありましたが、それ以来すっかり自然の脅威を忘れていたのです。自然を学び直さなければいけないという意識がようやく芽生えてきていると思います。インドネシアはそもそも、たくさんの島からなる諸島なのですから、ひとつひとつの島の形は自然の介入によってできたものに他ならないのです。海が侵入してきて土地との攻防があって、島を形成するに至ったわけです。インドネシアそのものがヨコハマトリエンナーレの「島」「星座」という言葉と共鳴しています。自然に影響され続けていてあまりにも当たり前のことに、インドネシアの人たちは気づけないでいたのかもしれません。その一方で、近代化と工業社会化の速度は加速する一方ですから、誰かが「立ち止まってみよう」と声を上げ続けなければならないと思うのです。それを発信するのがアーティストの役割だと思っています。

ジョコ・アヴィアント《大きな木々》2015

 

 

——アーティストは孤立する存在ですか?それとも誰かとつながっていますか?

私自身は人々とつながるために、あるいはコミュニティとつながるために、自分の仕事をしていると思っています。スタジオにこもって絵を描くアーティストではなく、私の仕事は誰かの力を借りての共同作業があって初めて成り立つものですから。たとえば竹を森に取りに行くという作業をとっても、ひとりではけっしてできないんですね。グループでないとできないことなのです。竹の伐採、運搬、加工、そして制作、すべての段階でさまざまな人たちと一緒に作っています。今回のプロジェクトに関しては5人のアシスタントと一緒にやっていますが、プロジェクトや展覧会によっては15人も関わってもらうこともあります。ひとりひとりまったく違う背景や文化を持ち、違う経験や伝統を持っている人たちが集まって一緒にやるということは面白いことだと感じています。知らない人々とつながることにアーティストとして生きる意味があると思っています。

 

[Photo by OONO Ryusuke/聞き手・構成:猪上杉子]

 

プロフィール

ジョコ・アヴィアント Joko AVIANTO

1976年、インドネシア、西ジャワ生まれ。バンドン工科大学アート・アンド・デザイン学科で彫刻を学ぶ。2000年代初めに竹を素材とする作品づくりを始める。インドネシア国内の活動に加え、2015年ドイツ・フランクフルトで開かれた‘roots. indonesian contemporary art’に「大きな木々」と題するインスタレーションを発表し国際的な評価を獲得した。

 

イベント概要

ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」

横浜で3年に1度行われている現代アートの国際展「横浜トリエンナーレ」。6回目を迎える今回は、「接続」と「孤立」をテーマに、世界のいまを考える。3つの会場を舞台に、38組のアーティストと1つのプロジェクトが集う。

会期:2017年8月4日(金)〜11月5 日(日)
休場日:第2・4木曜日(8/10、8/24、9/14、9/28、10/12、10/26)
会場:横浜美術館/横浜赤レンガ倉庫1号館横浜市開港記念会館  地下
開場時間:10:00-18:00 
(ただし10/27〈金〉〜29〈日〉、11/2〈木〉〜4〈土〉は20:30まで/いずれも入場は閉場の30分前まで)
入場料:一般1,800円、大学・専門学校生1,200円、高校生800円、中学生以下無料 ※障がいのある方とその介護者1名は無料
お問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600(8:00-22:00)

http://www.yokohamatriennale.jp