誰もが夢を持てる社会の実現とは?/栗栖良依さんインタビュー

Posted : 2016.12.14
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横浜市では、「クリエイティブ・インクルージョン」、すなわち“誰もがクリエイティブの力を信じて行動する社会の実現”を理念に掲げています。その代表的プロジェクト「SLOW LABEL(スローレーベル)」のディレクター・栗栖さんは、自身も障害者でありながら、数々のプロジェクトを鮮やかに成功させ、今年9月には、パラリンピック・リオ大会の閉会式で行われた旗引継式でステージアドバイザーも務められました。今回は、クリエイティブ・インクルージョンを実践する栗栖さんにお話を伺いました。

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リレハンメルオリンピックの開会式を見て「私がやりたい舞台はこれだ!!」

ーーー今までに様々なインタビューでお答えされていたことと重複すると思うのですが、栗栖さんは、もともとは舞台美術というか、裏方志望だったのですね。 

栗栖:はい。小・中・高校と、授業に創作ダンスがあるユニークな学校に通っていました。文化祭やダンスコンクールなど、クラスの仲間たちと作品制作をする機会も多く、舞台に立って踊ることもありましたが、当時から演出や舞台美術を担当していました。

 

ーーーポジション的には今とほとんど変わらない感じだったんですか。

栗栖:そうですね。予算規模に伴いスケールが変わっただけで、本質的には今と同じことを子供の頃からやってきている気がします(笑)。そして高校生になって進路を決める時、たまたまTVで見たリレハンメル冬季オリンピック(1994年)の開会式を見て「私が創りたい舞台はこれだ!!」と思いました。

ーーーそれが運命の出会いだった!

栗栖:でも、「オリンピックの開会式を演出する」なんて、どこの大学に行けば、どこの会社に入ればできるというものでもありません。考えた末に、まずは美術大学に進学しました。「開会式のスケールの芸術表現とはなんだろう」と考えて、科目の中でいちばん包括的に見ることができる「アートマネジメント」を選択しました。
学生時代は、早稲田を拠点とする劇団の旗揚げに参加し、空間演出を担当する傍ら、スポーツ大会などを運営するイベント会社で働いて、現場の経験も積みました。そうした経験が繋がり、長野オリンピックでは、選手村で行われるセレモニーや文化プログラムを担当する部署で働くことができました。

 

ーーー1歩夢に近づいたんですね。 

栗栖:そうですね。長野オリンピックでの仕事を終えて、外から日本を眺めてみようと思いました。オリンピックの開会式という何千人もの市民が出演するショーの演出は、芸術表現であると同時に「仕組みをデザインすること」だと思ったので、イタリアにあるドムスアカデミーという大学院大学で、最もマクロなデザイン領域である「ビジネスデザイン」を専攻しました。

 

病気になり、人生をすべてリセット。子供のころからの夢も捨てました

ーーー順風満帆に見えますが。

栗栖:そんなことはありません。当時は、まだ東京にオリンピック・パラリンピックが来るどころか、手も挙げていない状況でしたから、世間的には「オリンピックの開会式の演出」を目指すことは現実的ではなかった。私の中では全てひとつに繋がっているけれど、他の人からはそれが見えないので、「舞台芸術」とか「美術」とか「デザイン」とか、既にある一つの分野を追求せずに、ふらふらしている中途半端な人間だと思われていました。

 

ーーー2009年に越後妻有アートトリエンナーレでも作品をつくられてますね。

栗栖:大勢の市民が主役になってつくるエンターテイメント作品で、その創り方を研究していた頃でした。十日町市に半分拠点を移し、地域住民の方々と交流しながら300名くらいの方に出演していただき、商店街を舞台とした映画作品を制作しました。実行できたことも多かったけど、できなかったことも多く、ものすごく葛藤が多かったプロジェクトでした。できなかったことを「次こそはやろう」と、次の作品の準備をしていた時に病気が発覚しました。

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ーーーそれはいつのことですか。 

栗栖:2010年、32歳の時です。悪性線維性組織球腫という骨軟部の癌で、進行度も早く、すぐに入院して治療に専念する必要がありました。そこで、初めて生と死に向き合いました。これまでの価値観や生き方、人との付き合い方など、これまでの“あたりまえ”を真剣に見直しました。結果、今までの人生をすべてリセット。子供の頃からの夢も捨てました。

 

ーーー夢も一旦諦めて。

栗栖:そうです。だいぶ進行しましたし、一度は肺に転移もしています。再発や転移の確率も高く、今を生きるのに集中しなければ生きられない状況でした。その時までは「いつかオリンピックの開会式の演出をする」という子供の頃からの夢のためにがむしゃらに生きていました。でも、「いつか」を見ながら無理して今を生きるよりも、今のこの瞬間を楽しく生きたほうがいい、という風にシフトしました。

 

ーーー働くことなど困難な状態ですよね

栗栖:はい。3度の手術と8回に渡る抗がん剤の治療を終え、右下肢機能全廃の身体障害者になりました。免疫力も体力も落ちていて、今まであたりまえにできたことができないというゼロからの再出発。生活スタイルが大きく変わりました。そうやって社会復帰に向けて日常生活を今の体に適応させる訓練をしていた時、スローレーベルの前身である「横浜ランデヴープロジェクト」を企画したスパイラルのシニアプランナーである松田朋春さんからオファーが来たんです。

 

このプロジェクトはアートに振ったほうが面白くなる!

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ーーーそれが、スローレーベルのディレクターになったきっかけですか。 

栗栖:はい。松田さんから、「栗栖さんにぴったりの仕事があるから、横浜に来てほしい」とお声がけいただきました。もともと私は「プロダクト」よりも「イベント」の方が好きでしたが、夢も仕事も捨ててゼロの状態だったので、とにかく今の自分に出来ることであれば、ご縁だと思って何でもやらせていただこうと思いました。こうして、2011年4月に「横浜ランデヴープロジェクト」のディレクターになったんです。

 

ーーー具体的にはどのような活動をされていたのですか?

栗栖:まず始めに与えられたミッションは、横浜ランデヴープロジェクトで試作されたものを、きちんと商品にして流通させていくこと……いわゆるブランディングでした。ファッションアイテムからステーショナリーまで、複数のアーティストが自由な発想で作られた様々なプロダクトを1つのブランドに見せるためには、コンセプトやパッケージが必要でした。そこで、アートディレクターとしてSAFARI.incを起用し、松田さんとブレストをしていく中で、「スローレーベル」というブランドが生まれました。

 

ーーーブランディングのおかげで、「スローレーベル」の認知も上がりましたね。

栗栖:他にもいろいろなことをやりましたよ。市民が買うだけでなく作る側にまわる「SLOW FACTORY(スローファクトリー)」というプログラムの開発をしたり、プロジェクトを通じて、沢山の障害者施設を訪れたり。そこで、さまざまな障害のある人に出会って一緒にプロジェクトを進めていくうちに、「障害」って何だろう?と思うようになりました。彼らの様々な突出した知覚や能力をもっと多くの人に知ってほしいと思いました。次第に、売れる売れないに左右されるプロダクトよりも、誰でも参加でき、もっと自由な発想でクリエイションができる現代アートがやりたくなってきました。

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ーーーそこでヨコハマ・パラトリエンナーレ2014につながったんですね。

栗栖:はい。こうして、結局巡り巡って、“現代アートと舞台芸術”という、本来自分がやりたかった方向に戻ってきました。ただ、これまでと違うことはただ一つ。スローレーベルを通して関わりはじめた、「障害者」というそれまで出会ってなかった人が結びついたんです。

 

ーーーそれがパラリンピックにもつながることになった。

栗栖:そこに至る背景はもう1つあります。私が社会復帰した時点では、来年、生きているかもわかりませんでした。だから、先のことは考えないようにしていたんです。しかし、半年、1年とクリアしていくと、生存率が上がるんです。だんだんと、「もう少し生きられるかもしれない」と、少しだけ先のことも考えられるようになりました。ちょうどそんなタイミングで、折よくロンドンオリンピック・パラリンピックが開催されたんです。自分が障がい者になったこともあり、またスローレーベルの活動をしていることもあり、初めてオリンピックよりもパラリンピックに注目しました。

 

ーーーロンドンパラリンピックの影響が大きかったんですね。

栗栖:はい。パラリンピックの開会式を見た時、オリンピックよりも面白いと思いました。そして、私はパラリンピックの開会式をやりたい!と夢を上書きしました。
そんなこともあって、ヨコハマ ・パラトリエンナーレでは舞台芸術を取り入れました。ロンドンのセレモニーで振り付けを行ったカンドゥーコ・ダンス・カンパニーのディレクターを呼びました。

 

ーーーそれはみなさん興味を持ちそうです!

栗栖:ところが、蓋を開けてみたら人が全く集まらなかったんです。障害のある人がこんなにも参加してくれないんだ!ということに衝撃を受けました。なんといっても、ロンドンの開会式に参加したトップカンパニーのディレクターのワークショップです。障害のない人からの応募は沢山ありました。でも肝心の障害のある人からの応募が全くありませんでした。

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ーーー広報はどういう方法で行っていたんですか?

栗栖:当時の知識レベルで考えられることはすべて行いました。健康福祉局から施設へ呼びかけてもらったり、障害のある人が見ている掲示板へ書き込んだり、チラシを障害者用と障害のない人用の2種類作ったり。それでもプレイヤーがまったく集まらない。一方、アーティストと施設に行ってワークショップを行うと、みんなとても楽しんで、喜んでくれるんです。彼らは体を動かすことや舞台芸術自体が嫌いなわけではない。なのに、「来週、象の鼻テラスで待ってます」と告げて当日待っていると誰も来ないんです。

 

ーーーそれはなぜだったんでしょうか。

栗栖:やはり“1人では行けない”というアクセシビリティ(参加のしやすさ)の課題は大きいです。さらに、心理的な部分で「自分にはできない」と思い込んでいる人が多いこと、「うちの子には無理」と言われ続けている人が多いこと、障害のない人がいる中で一緒に活動する勇気が持てないことなどが考えられます。なので、そういう人たちがまず参加できるような環境を作らなければ、クオリティの高い作品は作れないということに思い至り、2015年に「スロームーブメント」を立ち上げました。

Photo: Yukiko Koshima

 

ーーー「スロームーブメント」はスローレーベルから派生したパフォーマンスのプロジェクトですね。

栗栖:はい。「アクセスコーディネーター」という障害のある人が舞台に上がるまでの環境を整える人と「アカンパニスト」という伴奏者…つまり舞台上でパフォーマンスしながら障害のある人をサポートする人。この2つの専門家の人材育成に1年間取り組みました。この活動が今年のリオで行われた閉会式の引継式に繋がりました。

 

ーーー「アカンパニスト」という言葉は、リオデジャネイロパラリンピック閉会式、旗引き継ぎセレモニーの放送でNHKのアナウンサーが解説していました。

栗栖:とりわけ障害のあるパフォーマーがメディアで注目を集める中、影の功労者であるアカンパニストを紹介していただけたのは有難いですね。アカンパニストとアクセスコーディネーターがサポートしてくれたことで、パフォーマーたちは安心してあの舞台に立てています。メディアで紹介されれば、そういう形で支援したり舞台に立つこともできる、とダンス経験者などに知ってもらうことができ、そういう支援者が地域に増えることで、障害のある人たちにとってのチャンスも広がります。

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理解してくれる人がいるといないとでは、安心感が全く違います

ーーー栗栖さんは、リオ大会ではどのような位置づけになっていたのですか?

栗栖:「ステージアドバイザー」という肩書きで参加させていただきました。「障害」ということに対してどのようにアプローチしていくのか、日本にはどんな表現者がいて、どんな関連技術があるのか、彼らをどのように演出したり振付したりするのか、その環境をどのように整えるのか、などなど。私たちがこれまで培ってきた経験やネットワークなど、2016年現在提供し得る全てを出し切ったと思います。

 

ーーー他の人ではできない働きですね

栗栖:また、通訳のように、障害のあるパフォーマーと演出や制作サイドのメンバーとの間で“言いにくいこと”と“聞きにくいこと”をそれぞれから引き出し、より良いパフォーマンスになるようにコミュニケーションを深める役割も担っていました。あの8分間は、その部分を理解しない人がテレビ映えだけを考えて一方的に演出するということは一切なく、ひとりひとりのパフォーマーたちが一番カッコよく見えるには?ということを本人たちと丁寧に対話を重ね、プロフェッショナルたちがその技術で応えた、そんな舞台だったと思います。

 

ーーーパフォーマーや他スタッフも、オリンピックの舞台など初めての経験ですよね

栗栖:そうですね。今回舞台に立った人たちの中には進行中の病を患っている人や重度の障害がある方もいました。彼らにとっては、8分間のパフォーマンス以上に30時間のフライトや外国の治安が良い悪いなんて、未知の世界なんです。それでも、「限りある命の中で、これ以上の舞台には二度と立てないかもしれない。いつか完全に身体が動かなくなって寝たきりになった時に、あの舞台に立った。ということをベッドの上で思い出したい」というような決死の覚悟で舞台に立っていました。アクセスコーディネーターやアカンパニストは、そういう命がけで舞台に立とうとした人たちを、日本からブラジルへの移動中やホテルでの滞在中も寝食を共にしながら支えてくれました。

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ーーー移動が大変なことは想像できますが、ホテルなどでも困難なことはありましたか

栗栖:移動車両やリハーサル会場のアクセシビリティはもちろんのこと、障害によって身体能力や可動域がまったく違うので、ニーズもまったく違います。例えばホテルの部屋でも、バスタブが必要な人もいればシャワーだけの方がいい人、シャワーチェアに肘掛けが必要な人もいれば逆に肘掛けが邪魔な人もいます。それらのあらゆるニーズをアクセスコーディネーターが全て聞き出して、ロジスティックス(チームの移動や宿泊手配などをする人)や制作のチームにリクエストをしていきました。
全てひとりひとり異なるので、ものすごい量の細かなリクエストでした。「できません」と突っぱねることはなく、すべて何らかの形で障壁を取り除く努力をしてくださったので、スタッフの方々には本当に感謝しています。

 

ーーーそれは素晴らしいですね!そういうサポートがあったからこそ、みなさん安心して舞台に立てたのですね。

栗栖:まさにその通りです。理解してくれる人がいるといないとでは、本人たちにとっては安心感がまったく違います。障害のある人とない人の対話がきちんと成されたことで、高いクオリティの8分間が成立したのです。

 

ーーー2020年の東京パラリンピックの前にそういう体験ができたことは、すごくいいタイミングでしたね。

栗栖:そうなんです。2014年のパラトリエンナーレでは人が集まりませんでした。その時にはすでに2020年オリンピックの東京開催が決まっていたのですが、「この状況じゃ開会式なんてとても無理だ」と思いました。どんな表現にするか、どんなクオリティにするかなどの前の段階でつまずいていることに気がついて、そこに集中的に取り組むことにしたんです。
リオの引継式を経験させていただけたことで、次の課題も見えてきました。2020年、東京パラリンピックでのセレモニーは3時間程度ありますし、2,000~3,000人が舞台に上がるであろうことを考えると支援の人材も足りないし、その人数をさばくための仕組みが必要です。

Photo: Yukiko Koshima

 

ーーー本格的に育てていくのはこれからなんですね。

栗栖:はい。昨年始めた時にはまだこういった職種が世の中になかったので、「アクセスコーディネーター」と「アカンパニスト」が担うべき領域の研究を行うことが活動の中心でした。ただ座って話し合っているだけではわかりませんから、実際に障害のある人との作品作りを通し、トライアンドエラーを繰り返して、今、やっとノウハウが蓄積されてきたところです。今後は、それをより多くの人に伝えていくフェーズに入ります。

 

2020年東京オリンピックは、さらに広げていくための起爆剤です

ーーーじゃあ今後は人材育成をより深めていくのですか?

栗栖:もちろんです。それと、障害のあるパフォーマーの発掘・育成は並行して行います。2014年のパラトリエンナーレの時はとても苦労しましたが、最近ではスロームーブメントのショーを見た人が申し込んでくれたりしますし、リオの引継式を見て「自分も舞台に立ちたい」と思ってくれる人が増えたらいいなと。今、スロームーブメントの活動では、聴覚障害、ダウン症や知的障害、発達障害の人、精神障害・身体障害……さまざまな障害のある人が「障害者」としてではなく、ひとりひとりが違った個性を持つ「個人」として参加してくれています。その人数がどんどん増えてきているので、ハードルはずいぶん低くなってきたと感じています。

Photo: Kazue Kawase

 

ーーー今後の活動はどのようになりますか?

栗栖:今月、新豊洲に「Brillia ランニングスタジアム」がオープンしたですが、そこがスロームーヴメントのトレーニングの拠点になる予定です。そこを拠点にしながら、全国の自治体や文化施設、インクルーシヴな舞台芸術を実践している団体などとノウハウを共有しながら連携していくつもりです。また、横浜では来年ヨコハマ・パラトリエンナーレ2017を開催します。横浜でしかできないことをやりますので、是非期待してください。

 

ーーーー栗栖さんは、個人的には、2020年東京パラリンピックでは演出を行うのが目標ですよね?

栗栖:東京開催が決まってから開会式の演出をやりたい人がどっと増えたので、逆に言いにくくなってしまいました。流行りに乗っているわけではなくて、私はずっとそのために生きてきたのに(笑)!
でも、いずれにしても私はもう「夢のために生きる」ことをやめたので。今は、今の私の立場でできることを1つずつ集中してやっていこうと思っています。

 

ーーーでは、2020年以降のスローレーベルのビジョンは?

栗栖:2020年はゴールではなく、スタートだと思います。それまでに人材とノウハウをしっかりと育てていれば、その人材が各地域に戻って次の人材を育てて、地域の活動をインクルーシブにしていくことができます。2020年東京オリンピックはひとつのきっかけ。さらに広げていくための起爆剤です。それをきっかけに、多様性を活かしあえる創造的で豊かな社会になれば良いと思います。

 

2021年になったら、私はダンサーデビューをします!

ーーー栗栖さんはその中で、どういう活動をするのでしょうか。

栗栖:私は、個人的には2020年が終わったら少し休もうと思っているんです。この間、一緒に活動をしているサーカスアーティストの金井ケイスケさんに宣言をしたんですけど、

 

ーーー宣言?

栗栖:2021年になったら、私はダンサーデビューをします!

 

ーーーえええええ!!

栗栖:それを言ったら、スローレーベルの衣装担当とか美術とか音楽のメンバーも「自分もやります!」って言ってくれたので、オーバー40のリアルスロームーブメントをゆるゆる始めます(笑)。

 

ーーーそれは楽しそうですね……(笑)

栗栖:最近できた目標です。実現するようがんばります(笑)。

 

ーーーでは最後に、「夢を叶えたい」と思っている人にメッセージを伝えるとしたら?

栗栖:言葉にするとありきたりですが、とにかく行動することです。手当たりしだいに思いつくことを行動してみて、失敗して、そこからまた学んで、チャレンジして。その繰り返しで人は成長し、前に進んでいく力を得るんだと思います。

 

【了】

(インタビュー・テキスト/いしだわかこ)

 

栗栖良衣(くりす よしえ)

東京造形大学卒業後、イタリアのドムスアカデミーにてビジネスデザイン修士取得。全国各地を旅しながら、さまざまな企業や地域コミュニティをつなぎ、地域のプロデュースなどに携わる。
2010年、右脚に悪性線維性組織球腫を発病し休業。2011年4月に社会復帰し、「横浜ランデヴープロジェクト」のディレクターに就任。「スローレーベル」を設立。2014年、「ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014」総合ディレクター、現在はスローレーベル/スロームーブメント ディレクター/総合演出。2016年横浜文化賞文化・芸術奨励賞受賞。

 

SLOW LABEL(スローレーベル)

2009年、象の鼻テラス事業(横浜市文化観光局の委託によりスパイラルが運営)として横浜ランデヴープロジェクトからスタートし、2011年に「SLOW LABEL(スローレーベル)」設立、2014年より特定非営利活動法人スローレーベル設立。国内外で活躍するアーディストやデザイナーと、企業や福祉施設などをつなげ、特色を活かした新しい「モノづくり」と「コトづくり」に取り組んでいる。
公式サイト→http://www.slowlabel.info

 

スロームーブメント/これからの公演

日程
2017年2月11日(土) 豊洲公演(The Eternal Symphony 2nd mov.)
2017年2月12日(日) 青山公演(ショーケース&フォーラム)
時間:近日発表
場所
豊洲公演:新豊洲 Brillia ランニングスタジアム(12月完成予定)
青山公演:スパイラル

スロームーブメント プログラム参加のお申し込みはこちら
http://www.slowlabel.info/project/movement/join/