役に立たないものが、創造性を喚起する「心ある機械たち again」

Posted : 2020.04.02
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2019年にオープンしたBankART StationとBankART SILKの2つの展示空間で開催された「心ある機械たち again」をレポート。10名の参加作家のうち、牛島達治さん、三浦かおりさん、川瀬浩介さんの3名と、施設を運営するBankART1929代表の池田修さんを取材した。

タムラサトル《回転する3頭のシカ》(1996年/BankART Station) 写真提供:BankART1929

 

BankART1929の新たな拠点の幕開けに

2019年にオープンした、みなとみらい線・新高島町駅構内の「BankART Station」と、横浜港大さん橋近くの「BankART SILK」。2018年に建物老朽化により閉鎖した「BankART Studio NYK」が場所を変えて、再スタートした施設だ。もともとギャラリー、スタジオ、レジデンス、ショップなど複合的な機能を備えていたが、現在はこの2会場のほか、関内にあるブックカフェ「BankART Home」とアーティストのスタジオを備えた東急東横線廃線跡の高架下の「R16 Studio」など複数箇所にわかれて運営している。

西原尚《まじめなキカイ》(2019年/BankART Station)写真提供:BankART1929

 

本展は、2008年に同名のタイトル「心ある機械たち」を引き継いだ展覧会。「基本的に役にたたないけれど、常に動いていて、どこかやさしく、そこにいても邪魔にならない、でも何か気になる」運動体、「心ある機械たち」を展示した。

(左)片岡純也《回る時計・進まない秒針》(2019年/BankART Station)(右)小林椋《ンポ(ドリームキャッチャーを用いた悪夢の運用あるいはベッドメイキング)》(2019年/BankART Station)写真提供:BankART1929

 

参加作家は牛島達治、タムラサトル、川瀬浩介、早川祐太、西原尚、片岡純也、武藤勇、小林 椋、今村源、三浦かおりの10名と、追悼展示の田中信太郎。その全てが動く作品だ。物理的な現象を利用しているものや、人の作用や電気によって動くものなど、その動力はさまざま。動きに伴い、会場には機械が動く音や電子音、水の音など多種多様な音が混ざり合っていた。この賑やかな会場で、3名の作家に話を聞いた。

武藤勇《全自動土下座珈琲》(2019年/BankART Station)写真提供:BankART1929

 

見えないはずの気配や記憶を見せる

三浦かおり《うごめく》(2013年/BankART Station)

 

2会場で作品を展開している三浦かおりさんは、日常にある素材で「余韻」「気配」「痕迹」をおもなテーマとして制作している。BankART Stationで展示した《うごめく》(2013年)は、その名の通り、細かい紙片のなかに生き物がいるかのように何かがうごめく作品。東京・谷中にある スペース「HAGISO」での展示のために制作した。紙片は谷中が舞台となった時代小説を刻んだもの。

「小説で描かれた時代に生きた人の思いが、いまも谷中に息づいているように見えたら、と思ってつくった作品です。歴史が重なり、徐々に街が変化する様も重ね合わせています」

三浦かおりさん。2005年京都造形芸術大学卒業。おもな個展に「フツフツのそれが消えるまで」(2017年、Gallery Hasu no hana、東京)、おもなグループ展に「Japan in Palazzo」(2016年、Kunsthalle Palazzo Liestal、スイス)ほか多数。

 

同じ原理で制作された《機微―百科事典13巻/subtleties-encyclopedia vol.13》(2019年)は、《うごめく》よりもさらに大きい。小説ではなく百科事典の13巻目を全て切り取って制作された。

「百科事典は生活のすべてについて書かれています。普段は気にしたことのないような、細かいことも書かれているんですよね。今はほとんど百科事典を使わないと思いますが、あえてその存在を確かめることも必要かなと思います」

文字がうごめく様子をじーっと見ていると、生活の隅々を見つめ直したくなってくる。

三浦かおり《砂の音》(2019年/BankART SILK)写真提供:BankART1929

 

自動演奏装置の「ミス」が音楽らしさになる

会場の中でもひときわ響く鉄琴のような音色は、川瀬浩介さんの《ベアリング・グロッケンII》(2009年)。ベアリングに使われている鋼球が、階段状になった鍵盤に落ちることで音が奏でられている。球の跳躍が、視覚的にも美しい。ベアリングとは、自転車や発電機などをはじめ、さまざまな機械にある回転部分の軸を支える部品だ。「この球は地上で最も丸い球とも言われています。それでこれだけ跳躍するんですよね」と川瀬さん。

川瀬浩介《ベアリング・グロッケンII》(2009年/BankART Station)写真提供:BankART1929

 

ベアリングのメーカーである日本精工株式会社の協力を得て制作された。鋼球が完全に丸いため、制御可能な自動演奏装置となっている。だが、時々この球は鍵盤を外れ、音を外す。
「いろいろな展示を経てわかったのは、温度や湿度など環境に影響される装置なんです。お客さんの人数や会場によってはミスが多くなることもありますが、金属の反発係数に影響しているそうです」

だが、その「失敗」は「愛嬌があっていい」と言われることが多い。
「工場で実験していたときは環境が整っていたので、奇妙なくらいに球の跳躍が揃うんですよね。もちろんそれは美しいと思う。でもミスやズレが生じると、『人らしさ』や見る人の心をくすぐるのでしょう。むしろ『音楽』に聞こえてくるんです。それも経験を得てわかってきたことなんですが」

川瀬浩介さん。作曲家・美術家。1970年、京都府生まれ、東京都育ち。おもな個展に「シーン・オブ・ライト〜光の情景」(2009、台北国際芸術村)、おもなグループ展に「光の音色:a tone of light」(2012年、東京スカイツリー)ほか多数。おもな受賞に「第13回文化庁メディア芸術祭 審査委員会推薦作品」(2009年)ほか多数。2010年より森山開次、ひびのこづえとの協働によるパフォーマンス《LIVE BONE》を展開。

 

装置を製作したエンジニアたちも最初はミスを嫌がった。それは製品としては欠陥だからだ。だが実際の展示でお客さんが喜ぶ表情を見て、変わったという。自身がつくったものに対して「人が喜んでいる姿を見るのは初めてです」と。

「工業製品の多くは人の生活を支えていても、部品をつくる人が直接お礼を言われたり、使っている人が喜ぶ顔を見ることはないですよね。長年の卓越した技術がこうして奇跡的にチャーミングな形で仕上がったのは嬉しいことだし、製作から10年を経た現在でも展示できるのは嬉しいです」と川瀬さんは話す。

《ベアリング・グロッケンII》の一部。左の写真にある小さいボールが、ベアリングの鋼球。

 

「キュウリを食べながら思う。」

牛島達治《まっすぐなキュウリたちの午後》(2019年、1997年/BankART Station)

 

前回の展示にも参加した牛島達治さんは、今回は《まっすぐなキュウリたちの午後》(2019年/1997年)と《調停器》(2007年)を出品。前者は「砂の街」と「競争」の2パートに分かれる巨大なインスタレーションだ。「砂の街」では、来場者が注いだ砂がゆっくりと運ばれ、ぐるぐると回る「街」を模した装置に注がれる。そして、「競争」では2つの貨車が楕円形のレールの上を、付かず離れず延々と回っている。

初めて制作したのは20年以上前の1997年。牛島さんは当時「僕たちは、スーパーに並ぶ均質なキュウリのようになってしまっていないだろうか。そのことに気づかず、このまま無意識に過ごしていいのだろうか」と考え、制作したという。

牛島達治さん。1958年、東京都生まれ。1980年代半ば、拾った石のためのプレーヤーの制作を思い立って以来「無用な機械」個展、グループ展多数。

 

キュウリを食べながら思う。

地球の自転する速さも、公転の周期も太古から今の時代まで、それ程変わることなく保たれてきている。

一日のながさはずっと同じなのであるが、生活の密度は20世紀にはいって急激に高くなってきた。

みんな忙しいのである。忙しい生活を過ごして行くには、まっすぐなキュウリであることが必然的に要求されて来る。

べつにキュウリでなくてもよいのであるのだが、そんな生活の中では、個性を要求されることも少なくなってきた。

可能な限りさまざまな要素を一般化して行くことの上で成り立ちうる社会構造となっている。

それから、それに付随したことかもしれないが、「なぜ」という問いを持つ機会もへってきたのではないだろうか。

やはり、みんな忙しいのである。こんなことをいっているなら文明を放棄してどこかに立ち去ればよいではないか。

しかし、私は、そんなことをするつもりは更々ない。

現実としての文明を肯定しながら、その進路を見続けて行きたいと思っている。

そして、「なぜ」という問う姿勢を大切にして行きたいと思っている。

問うことなしに、今の文明は在りえなかったであろうし、問いなき文明は、いごこちの悪いものとなるように思える。

 こうしているあいだにも、私にとっての午後(これからの未来)は、過ぎて行く。

(牛島達治ウェブサイトより)

 

このテキストは当時、牛島さんが書いたものだ。日々の生活、そして資本主義社会における葛藤や競争を、機械を通じて擬似的に表した。20年以上経った今も、牛島さんが当時問いかけたものは、まったく色褪せない問いであることに気づく。

牛島達治《まっすぐなキュウリたちの午後》(2019年、1997年/BankART Station)写真提供:BankART1929

 

「心ある機械」は、美術そのものの写し鏡

2008年に開催された「心ある機械たち」から約12年を経て、なぜ同じタイトルで展覧会を開催したのだろうか。最後に、BankART1929代表の池田修さんに話を聞いた。

「前回の『心ある機械たち』の頃から時代は大きく変わり、改めて同じタイトルで開催する意味があると思いました。一方で、BankART Stationは駅構内という人の往来が多い場所なので、子供から高齢者までいろいろな人が現代美術に親しめるよう、動いたり音が出たりする作品を展示しています」

BankART1929代表の池田修さん。

 

2019年夏に死去した田中信太郎さんも、前回の「心ある機械たち」の出展者だった。

「実は、BankARTの新たな会場で、田中さんに何かの形で展示してもらえたらと思った矢先の急逝でした。田中さんは機械そのものを作品で扱ってはいませんが、モビールの作品を多くつくっています。今回は札幌ドームの屋外にある作品《北空の最弱音(ピアニッシモ)》に似たモデル作品《ハートのモビール》を展示しました」

モビールとは英語で「mobile」、つまり「動く」という意味だ。1960年代に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」という前衛芸術グループとして活動し、その後に発表した「ハート・モビール」は代表作の一つとなった。

田中信太郎追悼展示(BankART Station)

 

本展の「機械」は、家電やロボットのように、人間の役に立つ機械ではない。そのことが重要だ、と池田さんは言う。

「美術に対して投げかけられる問いに『意味があるんですか』『役に立つんですか』というものがあります。ですが役に立っているのです。例えば生まれたばかりの赤ちゃんも、一見世話をされる側であり、役には立たないように見える。でもケアという仕事をつくり、周囲のクリエイティビティを喚起しています。役立たないものが、役割をつくる。ここにある『心ある機械』はそういうものです」

AI、SNS、IOT、電子マネーなど、挙げるとキリがないほどこの12年で技術は発展し、時代を変えた。自ら学習し、ネットワークで世界とつながる機械は人間の生活を向上させたかもしれない。

その一方で、改めてそうではない機械に出会う展覧会は、足元を見つめ直す機会となった。

文:佐藤恵美
写真:小野寺 忍(クレジットのないもの)