横浜能楽堂のコンテンポラリーダンス作品 「SAYUSA―左右左」が世界初演

Posted : 2017.08.28
  • facebook
  • twitter
  • mail
140年余りの歴史を誇る横浜能楽堂の能舞台で、能の伝統的手法を取り入れた、新作のコンテンポラリーダンス作品「SAYUSA―左右左(さゆうさ)」が 9月2日、世界初演される。演出・振付のルカ ・ヴェジェッティさんと、音楽監督の大倉源次郎へのインタビューも交えて、この作品の意義を紹介しよう。

提供:横浜能楽堂

 

能舞台でのリハーサル

8月上旬、横浜能楽堂では連日、リハーサルが続いていた。檜の能舞台の上で、白足袋姿でしなやかに動くのは 3人のダンサー、笠井叡さん、中村恩恵さん、鈴木ユキオさん。振付家で演出家のルカ ・ヴェジェッティさんはやはり白足袋姿で、それぞれのダンサーと頻繁に話し合いを行い、また小鼓の大倉源次郎さんや笛の藤田六郎兵衛さんの意見に耳を傾けている。9月2日の「SAYUSA―左右左」公演に向けての創作の現場は静かな熱気に満ちていた。

横浜能楽堂の本舞台は、明治8 年(1875年)に旧加賀藩主邸に建築され、その後大正8 年(1919年)に旧高松藩主邸に移築された「染井能舞台」を復元したもの。140年余りの歴史を重ねた本舞台は横浜市指定有形文化財だ。ここでは 1996年の開館以来、日本の古典芸能の上演だけにとどまらず、 海外アーティストとのコラボレーションによる新しい作品も生み出している。その新作となるのが「SAYUSA―左右左」だ。

日本文学・能研究の第一人者、ドナルド・キーン氏が原案協力・翻訳し、世界的に活躍するニューヨーク在住のイタリア人、ルカ ・ヴェジェッティさんが演出・振付を担当する。音楽監督は能の小鼓方大倉流宗家・大倉源次郎さんが務め、笛方藤田流宗家・藤田六郎兵衛さんとともに演奏も担当する。ダンサーの3人は、それぞれ「老人」「若者」「女」を演じる。能楽の子方、11歳の長山凛三さんが「子ども」として出演し、伸びやかな声を聞かせる。

タイトルの「左右左」は、『羽衣』の詞章の一部であるとともに、『翁』の冒頭で行われる露払いの所作を表した象徴的な言葉だ。作品の基となるのは、「能にして能にあらず」と言われるほど、神事芸能的な要素の強い『翁』と、東アジア全般に伝わる羽衣伝説を基にした能の代表作『羽衣』の2つ。ドナルド・キーンさんが、2曲の詞章の中から象徴的な言葉を抜き出し、英語に翻訳したものが謡われる。衣装は、横浜を拠点に、国際的に活躍するファッションデザイナー、矢内原充志さんだ。

横浜能楽堂とニューヨークのジャパン・ソサエティー(JS)が共同で進めてきた本プロジェクト。横浜能楽堂は、これまでにも様々な国との共同制作事業や海外アーティストとのコラボレーションを実施しているが、JSの芸術監督の塩谷陽子さんと共同制作に向けての話し合いが始まったのは、なんと2012年に遡るという。まずは塩谷さんが、能に深い造詣を持つ才能あふれるアーティストだと在NYのヴェジェッティさんを演出家・振付家に推薦した。プロジェクトは紆余曲折を経ながらも着々と前進し、ヴェジェッティさんは2015年に2週間、横浜能楽堂でのレジデンスを実施した後、翌2016年にはニューヨークの敏腕照明デザイナー、クリフトン・テイラーさんを伴って再び横浜能楽堂にてレジデンスを実施。その成果を生かし制作に入り、7月19日から出演者と演奏者とともにリハーサルを重ねながらの作品づくりが始まった。

「能舞台とコラボ」というシリーズ名に意義がこめられていると横浜能楽堂館長の中村雅之さんは力説する。「『翁』を演じる、いわば神事の場である能舞台は、幕がない構造空間、白足袋をはかなければならないなどのしきたりなど、世界的に他に類を見ない制約の多い舞台です。今回は、能舞台の制約の意味を理解してもらい、能舞台の新たな空間的な可能性と魅力を引き出してもらいたいというのが狙いです。それができるのは、能に対する尊敬があることを前提に、本物の表現力を持つアーティストでなければなし得ない」と中村さんは語る。それに応えるのがヴェジェッティさんをはじめとする今回のキャストだ。


 

音楽監督;大倉源次郎さんにインタビュー
能の音の意味とは

撮影:森本聡

 

–コンテンポラリーダンス作品への音楽づくりというのはどのようなものですか?

「ルカ・ヴェジェッティさんが能を深く研究される中で、能の中に残っているアニミズム的なもの、原始的なものを感じ取られて、それをダンスというジャンルの作品に展開したいと思われたわけです。笛の音は風の音、鼓の音というのは物が当たる音、そういう根源的な音の始まりのイメージを提供することが今回の音楽の役割だと思います。人間の身体から言葉が出てきたり動きが出てきたり、その動きがダンスになっていく、そうした根源的な始まりを音で表現していく任務です。
今回の音作りで気をつけたのはなるべく表現が過多にならずに、ダンサーの身体の表現を生かすことでした。笛も鼓も実は饒舌な楽器です。意外かもしれませんが非常に表情が豊かなため、ともすればダンスの表現を消してしまう危惧があります。なるべく語らずに音を減らしていけるか、音を削って表現がどこまで可能かを考えながら作っています」

–音を減らすことでの表現とはどういうものですか?

「一般的に音楽表現は一つの時間にいかに良い音を詰めていけるか、いかにたくさんの情報を音として表現できるかに比重がかかります。今回の発想では、削りに削った一つの音にどれだけ意味が見いだせるか。それは時間をじっくりとかけて一つの大きなことを伝えるということでもあります。
今回のダンサーの皆様は大変に感受性が強く、動かない「間」、無音の「間」に重要な意味があることをよく理解して動いてくださいました」

–今回、能の囃子のルールからはずれたこともありましたか?

「まずは、今回は会場が能舞台ということもあり、普遍的なルールではないかもしれませんが、能楽師として紋付を着させていただきました。これは装束を着けている役者以外は見えないものという大前提のルールに当てはめていただいているわけです。
音楽的には、いったん8拍子の能楽の基本的な音楽理論から離れて、組み立て直してみました。笛の藤田さんも卓越した技術を持っていらっしゃいますので、普段の演奏ではあり得ない、私たちでないとできない演奏部分も織り交ぜてみました」

–それはダンスのリズムに合わせることと関係しているのでしょうか?

「今回のダンサーの方たちは、ヴェジェッティさんが能の本質に共感して表現しようとしていることを理解していますから、インカウントのリズムではなく、呼吸を中心にして動きを組み立てています。音楽担当の私たちも、ヴェジェッティさんが考える能のコンセプトの作品化に協力したいので、本質につながるルールは守りながらも、一緒に作ることによって影響を受けあっていると思います。能の舞と、一般的なダンスは身体の使い方はまったく違います。しかし、ダンサーの方の身体の芯の取り方も素晴らしく、それは音づくりに影響を受けています。ダンスも舞も人間にとって普遍性のある、根源的な表現だということですね」

–この作品をどのような人に観て聴いてもらいたいですか?

「人類の始まり、生活の中での芸術の誕生といった、古今東西の人間誰にとってもの普遍的なテーマを扱っていると思います。それこそが能の意味合いそのものでもあります。ですからどなたが観ても自分にとって意味があることのはずなのです。人間ができることは、動くか動かないか、音を出すか出さないか、それだけのことですが、動かないこと、音がないこと、にも価値を見つけていただければ、能の精神性が現代に生きていることを実感していただけるのではないでしょうか」

撮影:森本聡

 

プロフィール
大倉源次郎〈音楽監督・小鼓〉

能楽小鼓方大倉流十六世宗家。大倉流十五世宗家大倉長十郎の次男として生まれる。6 歳にて初舞台。1987 年大阪文化祭奨励賞、1991 年大阪市咲くやこの花賞、2015年第37回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞等、数多く受賞。重要無形文化財総合認定保持者。


演出家;ルカ・ヴェジェッティさんにインタビュー
イタリア人演出家が能に見出したもの

ルカ・ヴェジェッティさんはイタリア人でニューヨーク在住。バレエ・ダンサーとして活躍後、世界のダンス・カンパニーや劇場から演出・振付の依頼を受け活躍している。日本での活躍も多く、細川俊夫の代表作となったオペラ《班女》日本初演(2009年/東京)、モノドラマ《大鴉》アメリカ初演(2014年/ニューヨーク)、《リアの物語》能舞台での再演(2015年/広島)の演出を手がけ、非常に高い評価を得た。能舞台での作品制作は二度目となる。演出を依頼され、準備のため2015年と2016年の二度にわたり日本滞在を体験、さらなる能への理解を深め、その上で今回の制作に臨んでいる。

撮影:森本聡

 

–そもそも、能にはいつごろから興味を持ったのですか?

「30年近く前になるでしょうか。能は舞踊演劇の理想的なかたちであることに、まずは惹かれたのですが、それは表面的な理解でした。能のことを学べば学ぶほど信じられないことばかりだと感じて、私にとって表現形式を探るうえでの大きなインスピレーションの源だと思うようになりました」

–能舞台の規則は創作する上で制約になりませんでしたか?

「この場所で何かを作り出すという目的が持つ大きな意味あいを考えれば、制約はプロジェクトの一部です。アイデアの発展を助ける要素です。能舞台では足袋をはかなければなりませんし、照明を吊るすことができません。でも創造において制約はむしろ必要なものです」

–「SAYUSA―左右左」のコンセプトを教えてください。

「枠組みと方向性を得るために、ドナルド・キーンさんと大倉源次郎さんに 「どの能作品を取り上げればよいか」と相談しましたら、二人とも『翁』を上げました。なぜなら『翁』は能以前の能の原型といえるもので、翁の舞が主題そのものだからです。源次郎さんはもう1つのアイデアを示してくれ、『羽衣』も舞が主題なので良いだろうと。天女の舞は私たち人間への贈り物で、世界を理解するために与えられるのです。この2つの能作品の主題を反映して、作品の骨格をつくろうと考えました。しかし、私たちは『NEW翁』、『NEW羽衣』をつくりたいわけではありません。あくまでも要素として骨組みづくりに役立てたのです。そして、作品のテーマは、ダンサーや俳優の演技をするという行為そのものが、我々に世界のイメージをもたらすということです。なぜなら私にとっての最も重要な能の側面は、演じることそのものが持つ深い精神性なのですから」

–今回の作品はどんな手法で創作されたのですか?

「この作品のための表現言語を探すために、異なるバックグラウンドをもつ出演者たちとセッションを重ねながらつくってゆきました。能の継承者、舞踏の創始者のひとりである笠井叡さん、非常に素晴らしいダンサーである中村恩恵さん、舞踏の出身でコンテンポラリーダンサーの若い優秀な鈴木ユキオさん、この3人のダンサーは各々振付家でもあるのですが、この作品のための新しい表現言語をつくるために、この個性豊かな出演者の、独自の表現の統合を目指しました。創作のための手段として私が使ったのは、能のフロアパターンの図です。能舞台という特殊なスペースでの動きを示すためのもの。これを使うと2人の能楽師が動きの全体の構成を理解することができるので、それに合わせてサウンドを付けることができるのです。つまり、フロアパターンを建築で言うところの青写真のように活用したわけです。とても有効な方法でした。慣れるにつれ、私もダンサーたちも飲み込んできて、音とやりとりを行うためのひとつの手段とするようになりました」

ヴェジェッティさんによるフロアパターンの図の例

 

–この作品での経験は今後にどのように生かされそうですか?

「この経験は今後への突破口となりそうです。すべてが異例なことばかりの状況に対面したという経験は、次への飛躍になると信じます。そして能の精神性への尊敬の念がさらに大きくなりました」

撮影:森本聡

 

プロフィール
ルカ・ヴェジェッティ Luca Veggetti

イタリアのボローニャ生まれ。ミラノ・スカラ座で経験を積み、ロンドン・フェスティバル・バレエ、ペンシルベニア・バレエ、バレエ・シカゴのダンサーとして活躍後、振付家としてキーロフ・バレエ、ニューヨーク・シティ・バレエ団附属アメリカン・バレエ学校の新作を振付ける他、マーサ・グラハム・ダンス・カンパニーと共同制作を 行うなど数多くの作品を手掛ける。日本では、細川俊夫のオペラ『班女』(サントリーホール版)の演出、広島アステール プラザ能舞台での細川俊夫作曲のオペラ『リアの物語』の演出も手掛け、高い評価を受ける。


横浜から羽ばたき、世界に価値を問う作品に

いよいよ9月2日に横浜能楽堂で世界初演される「SAYUSA―左右左」は、翌10月には本作品の共同制作者であるニューヨークのジャパン・ソサエティーで上演される。横浜能楽堂本舞台のために作られた作品が能舞台を離れ、世界の観客の前へと飛び立つことになる。「約10日間で新しい空間のためにと作り替えていきます。しかし、能の精神性を伝えるコンセプトは普遍性があるので大きな変更は必要ないでしょう」とヴェジェッティさんは語る。大倉源次郎さんも「今後、外国人の演奏家による笛と打楽器でも置き換えられるようにと、普遍性のある音楽に作ってあります」と説明する。ジャパン・ソサエティー塩谷さんも「能舞台でなければならないというのではなく、能舞台を離れて世界に通用する作品になるはず。ニューヨーク公演の後には、北米のほかの都市にもこの作品が巡回して行けるよう働きかけをしていくつもりです」と言う。
世界に価値を問う、そんな作品の初演にもうすぐ立ち会える。

提供:横浜能楽堂

 

(文:猪上杉子)


公演information
横浜能楽堂+ジャパン・ソサエティー共同制作作品
「SAYUSA -左右左(さゆうさ)」

http://ynt.yafjp.org/schedule/?p=2114

日時:2017年9月2日(土) 14:00開演
会場:横浜能楽堂 本舞台
住所:神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘27-2
アクセス
桜木町駅(JR 京浜東北・根岸線、横浜市営地下鉄ブルーライン)徒歩15分
日ノ出町駅(京浜急行線)徒歩18分
出演:笠井叡(ダンス)、中村恩恵(ダンス)、鈴木ユキオ(ダンス)、長山凛三(謡・舞)、藤田六郎兵衛(能管)、大倉源次郎(小鼓)
料金:全席指定 3,500 円 < 残席僅少につき下記にお問い合わせください>
お問い合わせ
横浜能楽堂
045-263-3055
http://www.ynt.yaf.or.jp

【原案】ルカ・ヴェジェッティ
【原案指導・協力・翻訳】ドナルド・キーン
【演出・振付】 ルカ・ヴェジェッティ
【音楽監督】大倉源次郎
【照明デザイン】クリフトン・テイラー
【衣装】矢内原充志
【プロデューサー】
     中村雅之(横浜能楽堂/公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)
     塩谷陽子(ジャパン・ソサエティー)