関内外OPEN!リレーコラムVol.5

Posted : 2013.12.13
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こんにちは。デザイナーの阿部太一と申します。この6月にGOKIGENというデザインオフィスを立ち上げ、入居しているシェアオフィス「nitehistudio関内」と自宅兼仕事部屋がある世田谷を行き来する日々を送っております。元々、横浜にあまり関わりが無かった僕がなぜ片道一時間半もかかる(交通費もバカにならない…)遠路を通うようになったのか、少しお話しさせて頂きたいと思います。

 

nitehistudio関内のデザイン&編集ユニット「Stuckyi」のブース

nitehistudio関内のデザイン&編集ユニット「Stuckyi」のブース

 
横浜と世田谷を往復する日々

思えば二年前、知り合いの写真家に展覧会をする空間を探していると相談された事がきっかけでした。聞けば都内のギャラリーは白壁の所謂ホワイトキューブばかりで、もっと空間と写真が響き合うような場所を探しているとのこと。そこで、横浜育ちの編集者の方に「似て非works」という黄金町にあるアートスペースを紹介して頂きました。この場所に一歩脚を踏み入れた時の感覚は忘れません。元々金融機関だった地上4階立てのビルを現代美術家の稲吉稔さんが全て自らリノベーションした空間は、場所の記憶を残しながら、同時に何か新しい事が起こりそうな密度の濃い空間になっていました。写真家も「ここでやる」と即決したのは言うまでもありません。

これがご縁になり、その後も「似て非works」で僕が好きなソウルミュージックのイベントやNYから来たコンテンポラリーダンサーのトーク&ワークショップを企画させて頂いたり、その他、ライブ、食、映画等、さまざまなイベントをお手伝いさせて頂きました。ガンガン踊るバーレスクダンサーの後ろでうつむきながらDJをした事もありました。キャリーケースにレコードをパンパンに詰め込んで、刷り上がったばかりのA1ポスターを抱えて通った大岡川沿いの道は、今ではすっかり馴染みの場所です。

その後「似て非works」の右斜め前にある横浜で20年以上続く映画館「ジャック&ベティ」が主催する「横浜みなと映画祭」のポスターやパフレットのデザインをさせて頂いたり、寿町で毎年冬先に開催されているキャンドルナイト「寿灯祭」の第3回目の空間デザイン(建築家の土屋匡生さんと共作)を担当させて頂いたり、横浜の街に関わる機会が増えてきました。石川町にあるアートスペース「」でデザインのワークショップを始めたのもこの頃です。

横浜に教えられたデザイン

考えてみると横浜でさまざまな人や物事に関わる事になって、自分のデザインへの考え方がより実践的でクリアなものになってきたと思います。 どの辺りに気付いたのか、思いつくままに3つ挙げてみようと思います。

1. デザインは常に流れの中にあるという事
例えばイベントのフライヤー1つ作る上でも、そこに至る人々の想いや行動の集積があり、そこから立ち上がったデザインは新たな想いや行動を作り出します。つまり、デザインの成果物というのは面々続くと流れの中での一つの結節点であって、むしろ重要なのはその結節点に向かうまでの過程と真摯に向きあい、それ以降の流れをどれだけより良いものにするかなのです。このように実感できるようになったのは、横浜でさまざまな活動に直接触れて来れたからです。これはオフィスに籠ってMACの前でひたすら作業をしているだけでは見えない世界で、僕にとって視野の広がる経験でした。

2. デザインは美しくなければならないという事
ある横浜のNPOの代表の方に報告書をデザインしてほしいと頼まれました。完成したデザインを見てその代表者の方が「自分のやってきた事に誇りを持てた」と仰ってくれたのを覚えています。少し大げさな言い方ですが、美しいものは人に誇りや尊厳を与えてくれるんだと思います。一方、美しいという事は、とても主観的で抽象的な概念です。ただ、デザイナーがそこから逃げずに、しかも安易な表現方法に陥らずに、その人や活動、企業ならではの美しさをとは何かに目を凝らすこと。そして、見えてきた答えに向かって一歩一歩デザインする事は、ボーッとしているとオートメーション化し均一化してゆく社会の中で、とても意味のある事だと思っています。

3. デザインはポジティブだという事
横浜にはどうやら自分たちの街は自分たちで良くしてく、という文化があるようです。実際に僕の周りにいる方々の、常に街をもっと楽しくて、面白いものにしようというパワーには圧倒されるばかりです。翻ってデザインもどんな困難にあっても、より良いものや状況を作る事ができると信じている所があるなと気付かされました(悪い物を作ろうと思ってデザインをしているデザイナーは一人もいないと思いますし)。そしてこれはデザインの大切な核になる部分だと思っています。

少々固い話になってしまいましたが、上に挙げた事を実感できたのは僕にとって大きな財産です。横浜は人と人が出会うとすぐに何かが動き出す、常に偶然が実践になる可能性がある街だと思います。この街は僕にデザインの実践とは何かを教えてくれた場所なのです。

9月からは横浜でアート系の出版社を営んでいる編集者の大谷薫子さんとwebデザイナーの藤原達さんと3人で「Stuckyi」というデザイン&編集ユニットを立ち上げました。ここではそれぞれのスキルを活かした確固とした水準の仕事をすることは勿論、デザインや編集の力を活かしたより提案的な(時にはただの遊びのような)プロジェクトも進めていきたいと思っています。

横浜と世田谷を往復する日々は、更に忙しくなりそうです。

さてさて、次のコラムをお願いするのは、馬車道でTür aus Holzという恐ろしくセンスの良い古道具屋とギャラリースペースを営みながらも、ある時はベルリンに編集部を作りフーリーペーパーを発行し、またある時はイベントでフードの提供やはたまた空間の美術まで作ってしまう、未だに人としての全貌が見えないマルチクリエーター内藤正雄さん。どうぞよろしくお願いいたします。えっと、先ずは何者なんでしょうか??

aber阿部太一(デザイナー)
武蔵野美術大学卒業後、広告会社にて企業・自治体・大使館等の広告のデザインを手掛ける。その後、デザインオフィスokamototsuyoshi+に勤務。小説・アート・写真・映像・建築などの分野のブックデザイン、雑誌のエディトリアル、横浜美術館・広島美術館の展覧会のグラフィック、企業・独立行政法人の印刷物のデザイン、建築のサインデザインなどに携わる。2013年6月GOKIGENを設立。 グラフィック、エディトリアルをベースにデザインのワークショップや地域のアートプロジェクト等、領域を限定しない活動に取り組んでいる。