VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.9

Posted : 2010.12.24
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「横浜トリエンナーレ2011」キュレトリアル・チーム・ヘッドをつとめる、横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年12月24日発行号 に掲載したものです。

横浜トリエンナーレのスキーム作り、
あるいは新たな公共の形成

あいちトリエンナーレ」への評価とその視点


「横浜トリエンナーレ2011」開催まで、いよいよ7ヶ月を残すところとなった。3月にはその概要が明らかにされる予定だが、そこでは今回のテーマと主会場(横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫)の出品作家の発表が主たるトピックになるだろう。

ところで、「あいちトリエンナーレ2010」が10月31日に72日間の会期を終え、総来場者数が、目標の30万人を大きく上回る57万2,023人を数え、第1回として成功をおさめたことが報告された。各メディアも好意的な報道を行ったが、興味深いことにその視点が次のような記事に象徴されるものだった。例えば、毎日新聞の電子版は、主会場(愛知芸術文化センター、名古屋市美術館)の話題よりも、周辺会場の一つ長者町会場の成果を大きく取り上げていた。

長者町の情報発信拠点だった「ATカフェ」地階で今月5日夜、「都市の祝祭の意味」と題した座談会に、キュレーターや地域住民ら約80人が集まった。1級建築士の立場から作品展開を統括した武藤隆さんは、長者町が名古屋城下の会所として栄えた歴史を踏まえ、「トリエンナーレの歴史が始まるにふさわしい会場だった」と指摘した。

愛知芸術文化センターや名古屋市美術館とは一線を画した長者町会場。「ホワイト・キューブ」と呼ばれる美術館特有の展示空間とは異なり、アート作品は29カ所・計約5,000平方メートルに点々と配置された。駐車場に面した壁面やビルの屋上、空き店舗や通路に至るまで無償で展示場所が提供され、地元の「ゑびす祭り」でひく山車も作品として制作された。

会場別の来場者数は芸文センターに次ぐ8万5,709人を記録。ATカフェを拠点にしたサポーターズクラブ事務局の池田ちかさんは、「『地図を見ても作品がどこにあるのか分からない』『急階段が多い』などの苦情もあったが、『長者町会場が一番良かった』との声が圧倒的だった」と振り返った。

高まる「アートとコミュニティ」への注目度

「アートとコミュニティ」を結びつける活動への関心は高まっている。 「ちらし寿司寿町交流会」(2010年4月23日) 主催:黄金町エリアマネジメントセンター photo: Junya Yanagimoto

「アートとコミュニティ」を結びつける活動への関心は高まっている。
「ちらし寿司寿町交流会」(2010年4月23日)
主催:黄金町エリアマネジメントセンター
photo: Junya Yanagimoto

この連載でも繰り返し取り上げてきた「アートとコミュニティ」の枠組みが、改めて評価対象になったことは見逃せない。恐らく次回の横浜トリエンナーレにおいても、同様の視点が評価対象の一つになるだろうし、メディアの注目するところとなるだろう。無論、あいちトリエンナーレにおける初の試みと違い、横浜の場合は、例えば、黄金町等は、すでに2008年から本格的な「アートとコミュニティ」の取り組みが始まっており、幾つかのステージを経て、新たな段階に入ろうとしている点においては、むしろ良くも悪くも、厳しい批評に晒される可能性はある。復習もかねて、横浜の場合、その問題点を拾ってみると、地域住民のアートや広く文化活動に対するリテラシーが上がってきたことに伴って、滞在アーティストの存在理由や、個々のアートの質が問われだしたこと等があげられるだろう。また、地域における経済効果もまた改めて見直されようとしている。そして、何よりも「アート」とは何か、という根本的な問題が問われている。ただし、ここで注意しなければならないことは、だからと言ってコミュニティにとってその選択肢はアートだけではない、ということを忘れてはならない。アートがコミュニティを選択するのではなく、コミュニティがアートを選択するからだ。

地域連携の試みを全国に先駆けて進めて来た黄金町。 「落ち葉で染めるスカーフワークショップ」 (2010年11月26日) 主催:黄金町エリアマネジメントセンター photo: Yasuyuki Kasagi

地域連携の試みを全国に先駆けて進めて来た黄金町。
「落ち葉で染めるスカーフワークショップ」
(2010年11月26日)
主催:黄金町エリアマネジメントセンター
photo: Yasuyuki Kasagi

自治体が、公的資金を使って十全に文化活動を支援する時代は明らかに終焉を迎えている。横浜でも黄金町あるいはその活動プラットフームである黄金町エリアマネジメントの取り組みが、次のステージに入っているのも、徐々に自活の道を探らなければならないことを意味している。将来への展望の中で、もはやアートは選択の一つであり、地域の特性を睨みながらどういったスキームを構築するか見極める段階に入っている。そこには、財政難の中、公的資金の注入そのものが困難になっているという避け難い課題が横たわっているのも見逃すわけにいかない。

実際のところ、文化庁は、芸術団体への助成事業予算を3年間で半減する方針を打ち出しており、益々文化を取り巻く状況は深刻だ。これは、国内に限ったことではなく、欧州連合(EU)加盟国の中でも、財政状況が最も深刻と言われるイギリスも、かつてファッション、デザイン等の創造産業が、GDPの10%弱を占めるほど成長し、2000年初頭「クール・ブリタニア」を称されたことも記憶に新しいが、もはや昔日の面影はない。こうした状況で、公的機関がどこまで自国の文化活動を支え続けるのか。あるいは、その資金源をどう他に求めるか、火急の課題だろう。

ちなみに日本では、年10%近い成長を保った高度経済成長の時代を経て、60兆円にも上った90年代の税収は、今や、40兆円を切っており、これが、右肩上がりに移行する要素は見当たらないのが実情だ。こうした中で、例えば、本年6月に「MCDN(ミュージアム・キャリア・ディベロプメント・ネットワーク)」を設立した慶応大学教授の岩渕潤子氏は、

アートが自立できるビジネスモデルを考えるべきだ。行政や企業などがやってくれるという意識でなく、市民が自発的に考え、それを後押しする仕組みが必要だ。(『日本経済新聞』朝刊、2010.11.6)と説く。

資金源が、現に自治体や、公益法人からの公的資金でなく、CSR等のプログラムで企業から支援を受けたとしても、公益性は担保されなければならない。それどころか、公的資金の注入が減少すればするほど、公的事業は、逆にその公益性を高く求められる。

「横浜トリエンナーレ」に求められること:「新たな公共」の形成

では、横浜トリエンナーレは、どうあるべきか。

3月の記者発表に向けて、テーマ、作家発表といった言わば、「展覧会」としての横浜トリエンナーレの枠組みに加えて、大きな枠組みをどう構築するか、といった議論が現在進められている。例えば、横浜美術館は、「みる・つくる・まなぶ」という枠組みを理念として掲げているが、同様に、横浜トリエンナーレにおいても、「展覧会」を通じて目指すべき理念を打ち立てようとしている。

「みる・そだてる・つなげる」がその理念の最有力候補で、それぞれ、

「見る、感じる、知る、探検するなど、知と感覚に訴えます」

「未来を担うこどもや将来を嘱望される若手の人材、パートナーとしての市民などとかかわり、ともに成長します」

「歴史と現在、グローバルとローカル、異分野との交流、地域の文化芸術拠点・教育機関との連携、市民との協働、官民連携など多様なチャネルを通して人と情報の交差と交流を促します」

といったテキストが添えられる。実際のところ、準備室とも言える、横浜トリエンナーレの組織委員会の実働部隊のスタッフも、さまざまな職業的キャリアの実績が条件としながら、若手を積極的に登用しようとしている。

さて、ということで、横浜トリエンナーレというのは、現代美術の祭典や現代美術の新しい潮流、動向を示す、といった役割に加えて、それを一つの装置として捉え、上に掲げたような、言わばアジェンダをどう有機的に実現して行くか、という文脈を抱えている。したがって、展覧会の機能と結んだプログラムがどう有効に働くか、といったことが、重要な課題となる。また、将来への展望としては、その資金源の構築にあたり、横浜市だけにその財源を求めるのではなく、さまざまな資金を調達し、安定した財政基盤を形成することがもう一つの課題としてあげられるだろう。

なぜなら、毎年一兆円の規模で増え続ける社会保障費等、高齢化社会が抱える問題は、 今後ますます深刻化するのだから。そして、これまでになかった財源を背景に、「新たな公共」あるいは「新たな公共圏」を形成していかなければならない。

横浜トリエンナーレはその試金石となっていると言っても過言ではないだろう。

 

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。横浜トリエンナーレ組織委員会事務局
キュレトリアル・チーム・ヘッド。

 

 

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年12月24日発行号に掲載したものです。