VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.8

Posted : 2010.10.25
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「横浜トリエンナーレ2011」キュレトリアル・チーム・ヘッドをつとめる、横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年10月25日発行号 に掲載したものです

国際展とアートとコミュニティ ― 再びアートとは何か?

「あいちトリエンナーレ」をみて

前回、「瀬戸内国際芸術祭」と「あいちトリエンナーレ」について触れた。開催前の「あいちトリエンナーレ」は、記者発表の段階で、気がかりなことを 2つほどあげた。地域連携への姿勢、今一つは、そもそもこの大規模なトリエンナーレが、何を意図して開催されるのか、が判然としない、ということだった。今回は、実際に「あいちトリエンナーレ」に出向いて感じたことを書こうと思う。

会場は、大まかに言うと、愛知芸術センターと名古屋市美術館といった既存の美術館施設と、長者町に代表される街中の、いわゆる街づくりプロジェクトに見られるような店舗や家屋をリノベーションした会場に大別される。その意味では、ようやく横浜美術館が会場の一つとなる「横浜トリエンナーレ2011」の枠組みに近似している。つまり、美術館、BankARTと黄金町等のコミュニティ・ベースのプロジェクトとの連携開催である。

浅井祐介 壁画《泥絵シリーズ》, 2010,  「あいちトリエンナーレ」長者町での展示

浅井祐介 壁画《泥絵シリーズ》, 2010,
「あいちトリエンナーレ」長者町での展示

 

 

「瀬戸内芸術祭」や「妻有トリエンナーレ」のような非都市型と違って、都市型のトリエンナーレとして、「あいちトリエンナーレ」や「横浜トリエンナーレ」は、その意味で共通したスキームを持つと同時に、同じような課題を抱えることになるだろう。

とりわけ、長者町といったコミュニティでの展示がこうした都市型の国際展では不可欠な要素になりつつある中で、今一度このあり方について再考する必要があるのではないか、というのが、ここでの提起だ。

ナウィン・ラワンチャイクンの作品。 長者町の人々が描かれている

ナウィン・ラワンチャイクンの作品。
長者町の人々が描かれている

 

すなわち、美術館での展示以外に、例えば、すでに使用されていない家屋をリノベーションして展示空間として活用し、あるいは、地域住民との合意形成のもとで、作家、作品が決定され、ここでも、美術館とは異なる公民館、コミュニティセンターやあるいは商店街といったところが、新たな展示空間として選択されることになる。こうした事態の中に、何が問題として浮上するのか?

 

 

 

 


街が変わるのか、アートが変わるのか

これは、展示をする場所が異なる、という意味以上の問題が内包されている。美術にまつわる言説は、研究機関である大学、美術館、批評家、そして美術市場を中心に形成されてきたし、今もまたそれは継続されている。ところが、それに加えて、地域社会という新たな文脈が現れることで、美術の意味やあり方について、これまで通りの言説ではカバーしきれない事態が生まれだした。無論、公的機関である美術館で、パブリックとの合意形成が回避されてきた、と言っているわけではない。むしろ、昨今は、公的機関もより強いガバナンスを要請されているし、コンプライアンス=法令遵守もまた同様である。ところが、厄介なのは、こうしたパブリックとの合意形成というもう一つの言説もまた、美術を巡る言説とは、相容れないというよりも、少なくともお互いを結びつけあう回路を有していないのが実情だろう。そこに横たわる合意は、「公序良俗に反しないこと」ぐらいかもしれない。しかし、それもまた立場によって意味の変わるあやふやな言葉だ。

さて、美術に関して言えば、美術史の中で論議の俎上に上がるためには、まず美の価値基準によるふるいにかけなければならない。もう少し、わかり易い例で言えば、地域との合意形成があるからといって、名も知れない、その美的価値についての議論も全く経ない作家の個展を、美術館が開催することはあり得ないからだ。この連載第6回を思い返していただきたい。世の中に数多ある写真の中で、特権的に美術館のコレクションされているのも、まさにこうした価値基準が機能しているからに他ならない。

美術作品が、これまで美術をめぐって合意形成されてきた機関—大学や美術館等—以外の場所=サイト—この場合、地域社会—で展示されつつある中で、従来の美術の定義の範疇外の意味が付与されだしたということだろう。極端に言えば、あれだけ問われていた美術作品にたいする美的基準が問われないまま、心地よさとか、相互的なコミュニケーションの約束、あるいは何よりも「わかりやすい」美術作品が、新たにプレゼンスされようとしているのだ。

実は、これに関連した発言を「横浜トリエンナーレ」のキック・オフのプログラムで聞くことになった。10月1日に「横浜トリエンナーレ」は、次回2011年のアーティスティック・ディレクターを記者発表し、2日、3日とキック・オフのプログラムとしてシンポジウムを開催した。歴代の「横浜トリエンナーレ」のディレクター、南條史生(2001年のディレクターの一人)、川俣正(2005)、水沢勉(2008)の三氏が「横浜トリエンナーレ」のこれからについて語りあったのだが、シンポジウム2日目「アートとコミュニティ」と題されたセッションで、川俣氏が、特に黄金町を取り上げ、ここで取り上げるアーティストの質をもっと吟味すべきだ、と発言したのだ。以前にも触れたように、黄金町ではすでに住民の間でも、この議論がはじまっており、アーティストもうかうかしていられない、といったことを紹介したことがある(第7回)。

アートの定義付けをしない限り、この言葉で想起されるアートは、今や人それぞれが自分なりに想定しているものになりかねない。

写真を巡って、今更ながら写真を芸術とするか、否か、の議論が再燃していることに加えて、そもそも写真が属すべき芸術自身が揺らいでいる。芸術作品とは何 か?それ自身が、自律すべき存在としての芸術作品とは何か?コミュニティにおける作品のあり方が、こうしたモダニズム芸術の言説を前提として問われることで生じるギャップ。とは言え、川俣から提起された質の善し悪しの問題だけではなく、新たな美術の有り様もまた見逃せない。このことについて、もう少し考えてみたい。

志村信裕(2010年「黄金町バザール」参加作家)の制作プロセス
―パブリックを意識して―

例えば、2010年の「黄金町バザール」の参加作家志村信裕について。志村のパブリックを意識した作品制作のプロセスを辿ってみたい。

志村がアーティストとしてパブリックというものを意識する契機となったのは、2009年に横浜美術館が主催した「アーティスト・イン・ミュージアム横浜」への招待である。ここでは、通常の展示スペースではなく、美術館内のパブリック・スペースにおける展示が行われた。美術館のエントランスに続く、広いスペースやその天井、入り口の丸い空間、アート・ライブラリーへ続く通路等だ。これらのスペースには、展示が想定されている場所ではないからこそ生まれる効果があった。それは、鑑賞者が、普段は見過ごしがちな空間やその場のしつらいを、作品を通じて強く意識し、場の発見もまた生まれたからだ。

このプログラム実施中に、美術館と地域との連携を試みる中で、コミュニティ・ベースのプロジェクトを組織している黄金町エリア・マネジメント・センター主催の「黄金町バザール2009」への参加もまた実現した。志村への事務局側からの要請は、町並みの中での作品展示であった。黄金町、及び日ノ出町は、数年前まで買春・売春を不法に営業する店舗によって占拠されていた地域であった。地元住民、横浜市、警察等が協力して、こうした店舗の撤去活動が行われ、今では、静かな、しかし一方で活気もまた失った地域となった。ここに、アーティストやデザイナーといったクリエイターを招聘し、新たな街づくりを展開しようとしていた。志村はゲスト・アーティストとして招待されたというわけだ。

すでに述べたように、この地域には、夜になると人気がなくなる通りもあり、志村は、まずこうした夜も安心して通れるような環境を作ることができる作品の制作を思い立つ。そして、そこをまさに散策することを想起する靴=赤いスニーカーが、道路に舞い降りるイメージを制作した。明かりもなかった通りの表情が一変し、住民たちも喜んでその作品を受け入れた。ここでは、思わぬ副産物もあった。近所の子供が、道路に映るイメージに水を撒きはじめたことがあった。志村は訝しくその子供にその行為を質したところ、雨でアスファルトが濡れたときに、この赤い靴が輝いて見えた、それを再現したかったのだと。

志村は、作品が展示され、それを観者が鑑賞する、という関係に加えて、日常の中=パブリック・スペースで展示された作品が、地域の住民も含め、それを日常的に鑑賞し、様々な印象を志村とともに述べあう関係の中に、アーティストとしての社会的意義もまた見いだした。

志村信裕《ribbon》, 2010, 「あいちトリエンナーレ」長者町での展示

志村信裕《ribbon》, 2010,
「あいちトリエンナーレ」長者町での展示

志村のパブリック・スペースでの展示は、様々なことを志村にも、あるいは作品を受容する側にも与えた。それは、ともすれば見過ごしてしまう場に作品が展示されることで、場そのものの細部に改めて受容者の眼差しを向けることができた、ということ。アーティスト自身も気がつかなかった、場への認識と理解を、受容者とともに分かち合えることが、何よりも志村のパブリック・スペースでの展示を通じて得られた点だろう。志村自身は、「あいちトリエンナーレ2010」にも選抜され、長者町というこれもまたコミュニティ・ベースのプロジェクトの中で展示をおこなっている。

中性的な空間であるホワイト・キューブという、作品を十全に鑑賞可能な環境が、モダニズム芸術が要請する条件だとすれば、今や作品が展示される場は、決してそういった文脈だけを想定しているわけではない。志村の例にあるように、受容者側にとっても、作品自身からばかりか作品を通じて新たな場の経験もできるとなれば、美術の再定義の必要性も強く要請されるのではないか。

(続く)

関連サイト

あいちトリエンナーレ2010
http://aichitriennale.jp/

横浜トリエンナーレ
http://www.yokohamatriennale.jp/

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。横浜トリエンナーレ組織委員会事務局
キュレトリアル・チーム・ヘッド。

 

 

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年10月25日発行号に掲載したものです。