「大きいお腹が元に戻るまで、そして」 本間メイさん

Posted : 2020.09.28
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創造都市・横浜を経由して様々なフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちが寄稿するシリーズ「around YOK」。第四回は、アーツコミッション・ヨコハマによるU39アーティスト・フェローシップ2019・2020年度に参加するアーティスト・本間メイさん。 日本とインドネシアを拠点に、映像やインスタレーションなどの作品制作をされる本間さんは、今年2月に黄金町で個展を開催。近代化の中で見過ごされてきた女性の身体性、文化や歴史について描かれました。今回、そうしたアーティストとして取り組まれる主題について、またこれに重なり合うようなプライベートでの体験まで、本間さんご自身の変化について書き綴っていただきました。

ぐぉーん、ぐわん、ぐわん
とんとん、とんとん
ぐぉぉぉーん、ぐぉん、ぐぉん

実際にこういう音が聞こえるのではない。
かすかだが鈍く、時に不快な、しかし安堵すべき痛みとともに、お腹の中でその動く響きを感じる。
お腹が最大限に膨らんでくる時期を目前に取り出されたその動きを、私はNICU(新生児集中治療室)で目にすることになった。

出産方法や体験は人それぞれ、多様であることは周知の事実であると同時に、もう数え切れないほど多くの女性たちが出産しているから、個人的な体験としては特別なことであっても、他の人にとっては当たり前で取るに足らない出来事かもしれない。私もつい最近、出産した。妊娠する前から変化する女性の身体と、その身体が社会的に管理され得る可能性について考えており、ちょうどここ最近は妊娠や出産にまつわる文化やリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR:性と生殖に関する健康と権利)を念頭に置いて制作をしていた。私自身の体験をどの程度書くべきかは悩むところだが、制作のために調べていたこととは別に自身の体験を通して感じたことはまた違った面白みがあったし、何より妊娠から出産、その後、とあまりにも知らないことがたくさんあることに驚いた。変わりゆく体の思い出と、外の世界との関係、また制作について、後から思い起こすと重要な部分もあるかもしれないので、日々に追われ忘れてしまう前に断片的に記していきたい。

家族をもち、身体の痛みから思うこと

インドネシア人のパートナーと結婚したのは数年前。お互いにアーティスト活動をしていると、方向性は違えど機材をシェアしたりリサーチを手伝いあう。また日本に無いものはインドネシアで、インドネシアに無いものは日本で探したり、と。元々、島や村を訪れて一ヶ月くらい放浪する旅が好きであったパートナーは、私のリサーチトリップにも大体ついてきてくれる。今までご馳走してもらった中で一番食べたくなかったものは亀の血のスープだ、と。言語も文化も違うインドネシアの色々な地域を私たちは訪れた。あるところでは「ありがとう」を「ダンケ(Dangke)」と言う。オランダによる植民地支配の影響だろうか。私のような外国人がいないような地域でも、実は大昔に移り住んで生活していたり連れてこられたり…。「家族」を大切にする人たちの住む家は、定住のための家でも出稼ぎのための一時的な家でも来訪者に暖かい。

映像スチル『Luka Sembuh, Namun Tetap Berbekas -Wounds healed, but scars still remain-』2018年

 

町に戻ると、ほっとするとともに少し戸惑いを感じる。村には無かったファンシーなレストランやショッピングモールの数々、展覧会のオープニングにアフターパーティー、パソコンを開くためにカフェで買う一杯のコーヒー。子を持ってもこの戸惑いを抱き続けることはできるだろうか?そして誰もが問い、問われ続けられる。独身であれば「いつ結婚するのか?」、結婚すれば「子どもはまだなのか?」(「(そのお腹の中に)もういるのか?」など聞き方は色々…)、子どもができたら「次の子はいつか?」と。結婚だって本当はしなくても関係は続けられるが、どちらが楽だろう?家族だとか宗教、滞在許可を得ることに立ち向かうのと、自分たちの生活の中で対等な関係を築くのと。国が違う私たちは、書類の手続きに抗えない。日本で出した息子の出生届けの名の欄には姓と名の一つずつしか無く、ひどく困惑した。インドネシアでは民族によっては姓が無く、名をいくつも持つ。産後の体を引きずって、不思議な名前を記入した出生届けを役所に提出しにいった。

カンガルーやコアラなどの有袋類のように、なぜ私たちは体の外側にも袋を持っていないのだろう。動物園でよく見るアカカンガルーの妊娠期間は約33日。2、3センチメートルほどの大きさで産まれた子は自ら這いあがり袋の中に入ると、乳頭に飛びつき、2ヶ月間母乳を吸い続ける。生後5、6ヶ月で袋から顔を覗かせ、生後6、7ヶ月で袋から出る。分娩への恐れを感じた時、カンガルーのお産はとても合理的に思える。私たちが持つ袋、すなわち子宮は色々な場面で私たちを困らせるのに対して。

映像スチル『Mammalia』2019年

 

子を産むことを想像した時、自身の身体に変化がもたらされることを望んだ。年々ひどくなるPMS(月経前症候群)と月経痛に私はもう耐えられなくなっていた。これからあと何年くらいこの不快な体験が続くのだろう。ピルを飲むと妊娠できなくなってしまうから飲むこともできない。出産したら少しでも痛みが軽減されるだろうか。月経はいつ止まるだろう?

妊娠することに少し抵抗する気持ちもあった。私は一度カンガルーのようなお産をしたことがある。妊娠してまもなく、胎児になる前の胚子は、7時間ほどの子宮収縮の強烈な痛みと大量の血とともに流れてしまった。次の日病院に行って子宮はもう回復に向かっていることを知っても、あの痛みの体験に呆然としていた。なぜ私は体のしくみや起こり得る可能性について何も知らなかったのだろう、と。そして内診の痛みにまた驚き、処方された薬で数日間、腹痛に苦しんだ。この時ばかりは医療介入がなかったことでいくらか気持ちが和らいだ気がした。日本では処置が必要な場合に、薬の使用ではなく手術が行われる。私の子宮の中で育ち途中であった胎盤と胚子は、自らほとんど流れていった。この時期の流産は染色体異常というほか説明の仕様がなく、わからないことの方が多いのだが、理由を聞かれる時の居心地の悪さはなかなか忘れることができない。

ある村で一人の中年女性と話したことがある。彼女は孫を連れてにこやかにしていたが、一度逆子を出産した時にその子は助からなかったのだと、ふと表情を曇らせて教えてくれた。

バースプランをどうするか

ちょうど黄金町エリアマネジメントセンターで行う個展準備のため、妊娠・出産に関する歴史と文化などを新作の映像作品にどう扱うか思いを巡らせている時に二度目の妊娠がわかった。映像のために分娩時の様々な姿勢や妊娠中のエクササイズをパフォーマーとともに私も実践したりしていたが、並行して私自身のバースプランも考えることになり、私は日本に帰って無痛分娩にしようと強く思っていた。映像作品でも少し扱ったが、日本ではお産の時に痛みを伴うべき、という価値観がいまだにあり、また無痛分娩を選択するとその分金額も上がるので無痛分娩は主流ではない。私がそれを選択したところで大きな変化はないが、日本での無痛分娩の割合を上げなければと考えたのである。

映像スチル『Bodies in Overlooked Pain』2020年

 

日本での個展が終わる頃には新型コロナウィルスのニュースを毎日見るようになっていて、私はインドネシアに戻るまでほとんど外出しなかった。妊婦への影響が全くわからなかった時期だ。妊娠中の女性がジカウィルス感染症にかかると胎児に先天性の病気をもたらすことを思い出し、余計に心配になっていた。産院で分娩予約をし、日本での里帰り出産をする選択肢を残したままインドネシアに戻った後は2週間の外出自粛。そのうちに感染者がまだそんなに確認されていなかったインドネシアでもどんどん感染者が確認され、クラスターも起こるようになった。私が通っていた産婦人科もお産が近い妊婦しか受け付けなくなってしまった。最終的に妊娠中期から後期にかけてインドネシアで過ごし、妊娠32週で大きなお腹を抱えて日本に戻ることになったが、帰国するまでインドネシアに残ってこちらの病院で産むかそれとも自宅分娩すべきか、などずっと悩んでいて、その間にPSBB(大規模社会制限)が行われ、インドネシア人は国外渡航禁止になったりした。

SNSを開くと、妊娠中期で感染し入院中のイギリス人女性が外出しないでくださいと呼びかけている。妊娠中に感染し、出産直後に亡くなった女性のニュースを聞いた時はとても悲しくなった。世界中で妊婦が試行錯誤している。立ち会い出産が禁止になりZoomでパートナーとやりとりしながら出産する女性、助産師やドゥーラと相談して自宅出産に挑もうとする女性、など。またインドネシアでは予定外の妊娠率が上昇し、日本では若年女性の望まない妊娠が少なからず起こり、子を望む男女の不妊治療は制限された。香港の動物園では来園者がいなくなってパンダが10年振りに交尾を始めた。

家事労働は誰のものか

ウィルスへの心配はあったが、自宅にいる分にはのんびりと過ごせもした。月経が来ないということは素晴らしい。パートナーはスタジオには行かずに自宅で作業を始め、ピザを焼くなど時間をかけて料理をし、キノコを育て、ギターを弾く。私も揚げ物を揚げ、パンを焼き、焼き菓子を作り、エコについて考える。周りの友人たちもステイホーム当初は寄付をしたり、フェイスシールドやマスク製作、そして料理などをし、自宅での生活が長引くにつれてだんだんお小遣い稼ぎに料理をして食べ物を売る友人も増え始めた。

今までは週に一度来てもらっていたビビ(おばさん、家事労働をしてくれる女性をこう呼ぶ)にも休みをとってもらったので、掃除や洗濯もパートナーと分担して行う。ビビは他の家の仕事も休みになってしまったらしい。通いで家事労働に従事する他のドメスティックワーカーたちも似たような状況なのだろうか。女性が結婚して家に入っていた時代には、当たり前だが自宅で家事労働をする日々だったのだろう。妊娠したらなおさらつわりなどの体調不良で家に籠もりがちになるかもしれない。やはり妊娠出産するとその間の時間、少し止まってしまう。もし皆が家に籠る必要がなければ、私はお腹を守るためのゆっくりした時間と、普段の自分の時間、外の時間のズレに焦るだろう。パートナーが手伝ってくれることには有難く思いつつ、やはり違う時間が流れていることに戸惑いを感じる。男性も女性も家に籠ることになり、家事労働に対する見方が少しでも変わるだろうか?

PSBB(大規模社会制限)の間もその後も、写真や映像作品、次のプロジェクトについて考えていたりしたが、気付くとぼんやりしてしまう。お腹がだんだんと大きくなるにつれて力が吸いとられる。異国の地で感染することを恐れ、食料の買い出しはパートナーにほとんど任せた。いつものように動けない時間の中で、私を外の世界に引き止めてくれたのはコレクティブの仲間や新たに知り合ったフェミニストの友人たちとオンラインで話す時間だったと思う。Back and Forth Collectiveの活動をともにする坂本夏海さんはスコットランドに、滝朝子さんは東京を拠点にしていて、それぞれの日々について近況を伝えたり、これからのプロジェクトについて話し合った。現在、私たちとスコットランドを拠点とするキュレーターとアーティストで「ある架空の女性についての物語」を作り出すために短い映像を3回に分けて共同制作するプロジェクト「Specurative Fiction : Practicing Collectively」(邦題:推論のフィクション:共に実践すること)を行っている。「家庭における日々の労働、ケア、性役割」をトピックに一つめの映像を作り終えたところだ。

コレクティブ・フィルムメイキング 映像スチル《Speculative Fiction: Practicing Collectively》2020年

 

それぞれのバックグラウンドが違っても女性が担いがちな役割に対する問いは共通していたり、それぞれのアウトプットによってビジュアライズすることで新鮮な視点を与えてくれる。新型コロナウィルスが蔓延する前から構想していたプロジェクトであり、元々オンラインでやりとりしながらの制作を想定していたことは私にとってストレスがないものである。自分自身の制作はリサーチトリップも重要な部分を占めている。子どもが多いインドネシアなら子連れでも旅先で親しみを持って話しかけてくれるだろうと思っていたのだが……。

そして子が産まれる

今年のレバラン(断食月明け大祭)は町を越えての移動が規制され、年に一度大家族が集まる大行事も、帰省はせず近くにいる者同士で集まるこじんまりとしたイベントになった。私たちも家族がいるジャカルタには行かず、少しきちんとした服に着替え、隣に住む大家さんの家でご馳走してもらう。レバランの後はいつもに比べると町は静かだったが、PSBBが解け、人の移動が少しずつ始まっていた。私もたまに買い出しに出かけ、撮影用の果物や野菜を買う。一つずつ重さを計りたかったのでデリバリー注文だと思ったものを買えなかったのである。

今年出産予定の友人たちも無事に出産をし、SNSでステイホームを呼びかけたイギリス人女性も無事出産してコロナからも回復したようだった。まだインドネシア人は日本入国ができなかったが、私たちは日本で里帰り出産することを決め、パートナーは大使館でビザの手続きをし、人道上の配慮によって三ヶ月間の滞在許可をもらう。私は7時間強のフライトよりも、私たちが住むバンドンからジャカルタへの車移動が心配だった。混み具合によっては5時間から7時間かかる。飛行機に乗り遅れそうになるのは私だけでなく友人たちも体験している。しかし高速道路はガラガラで、3時間ほどフェミニスト友達と通話している間に空港に到着してしまった。いかに普段がひどい交通渋滞だったのだろうか。フライトの間はなぜか胎動を頻繁に感じると同時にお腹の張りで苦しく、日本に着いてからはPCR検査の順番待ちなどでふらふらだったが母の迎えでなんとか帰宅できた。陰性で本当に良かった……。

2週間を自宅で過ごした後の妊婦健診で血圧が高めだと言われた。今まで血圧を気にしたことなどない。2日ほど自分で血圧を測っていたが、やはり高かったので産院に電話するとすぐ来てくださいと言われ、色々と検査を受け、胎児には問題は無かったが血圧も下がらず、大きい病院に搬送されることになった。私は毎日感じる体のだるさを後期つわりだと思っていたため高血圧の自覚が無く、救急車に乗っている間もきょとんとしていて、きっとまた検査して家に帰されるのだろうと考えていた。国立病院に着いてからトイレに行こうとしたら止められ、尿道カテーテルと点滴をつけられる。予定日より1ヶ月以上早かったが、医師からエコーで胎児は2200グラム弱あるから帝王切開します、帝王切開は理想のお産ではないかもしれないですが母体のリスクを考えると手術をすぐ行う方が良いです、と告げられ、え、今日ですか、とびっくりして思わず笑ってしまった。経膣分娩か帝王切開かにはこだわりがなかったが無痛分娩でないのは少し残念だな、などと思っている間に点滴で朦朧としてきたので、もうすでに横にいた母に携帯を出してもらってパートナーにカメラの充電をして持ってきてくれ、となんとか伝えてからおとなしくしていた。帝王切開の手術は70分ほどだったがお腹を切って赤ちゃんを取り出すのは5分くらいの出来事だったように思う。麻酔は下半身だけだったので意識はあるが、手術中は体は動かせないし何も感じない。赤ちゃんを取り出すためお腹のどこかをすごい力で押された一瞬だけ圧迫された衝撃の感覚があった。赤ちゃんはお腹から取り出された瞬間に泣き出し、帝王切開でも泣くんだな、と思う。どこかに連れて行かれてから戻ってきた赤ちゃんに、触ってくださいと言われたが、私はさっきトイレに行けなかったので手を洗ったのはいつだったか、コロナは陰性だったけど……と心配になり手を少し触るくらいしか出来なかった。どこの病院でも赤ちゃんはエコーで2キロくらいあると言われていたが、取り出してみたら1790グラムしかなく、あのお産のイメージとしてよく見る、産まれたての赤ちゃんがお母さんの胸の上に横たわるSkin to skin contact(早期母子接触)も私の場合は行われぬまま息子はNICUに送られていった。

人によってお産の何が大変かは違うだろう。私は急なお産に驚いたものの、冷静でもあったが、手術が終わってからが目まぐるしかった。赤ちゃんには次の日まで会えなかったので、朦朧としながら胎盤の写真を必死で撮る。臨月に至る前だったので私の胎盤は少し小さい気がした。実際はどうかわからないが。インドネシアでは胎盤は胎児の兄や姉と考えられることがあるので、パートナーと家族写真として胎盤と写真を撮った。麻酔が切れるまでは元気で友人と連絡したりもしていたのだが、麻酔が切れ始めるとお腹のあたりの痛みに加え、暑さとなんだか痒いのと、両手に点滴など色々なものがついていてなかなか眠れない。また、食事もしてはいけないことを術後に知り、助産師さんにいつから食べられますかと何回も聞いていた気がする。私は緊急で搬送されたので病室も出産したばかりの人だけではなく、妊娠中で入院が必要な人も多いようだった。誰かの胎児の心拍の音が機械から流れていて、眠れぬ夜をその心拍の音を聞きながら過ごした。

続く痛みの記憶

手術の次の日からトイレに行く練習があるが、鈍痛で普通には歩けない。点滴のせいか目の焦点も合わず、たまたま持っていたフェミニズムの本も数行で挫折した。出産後には胎盤が子宮から剥がれ、その傷口が治癒する過程で悪露が膣から出るのだが、まだぼんやりしていた私はお腹を切ったのに膣から悪露が出るプロセスになぜか混乱していた。自分の体をコントロールできないことに戸惑い、まだ出産をした実感がわかず、息子に会いに行くのはなぜか緊張したが、看護師さんに車椅子でNICUに連れて行ってもらう。NICUはまるで株式市場のようだ。大量のモニターに、赤ちゃんの呼吸や心拍を管理するための機械の音。24時間、たくさんの医師と看護師がせわしなく働いている。

私の息子は一番奥の部屋のまた奥の方の保育器でお世話されていた。保育器に対して体はとても小さく、宝箱に大切にしまわれているようだ。目を閉じて丸まった姿はまだお腹の中にいる気分なのだろう。丸みを帯びる前の、細い体から伸びた細い腕、手に触れてみる。足の指の皮膚は透き通るようだ。お腹の中にいるはずの時間を私は目で見て観察する。ゆっくりと手足を動かすリズムを、私はまだお腹の中で覚えている。

出産後、私を悩ましたのはやはり子宮だった。大きくなった子宮は元の大きさに戻るためまた収縮する。後陣痛と呼ばれるその動きは予測なく起こり、手術で切った傷とはまた違う痛みを持っている。術後3日ほどは本当にまた普通に歩けるようになるのかと落ち込むくらい鈍痛があったが、2週間くらいで感じなくなる腹部と子宮にある二つの切り傷への回復力に比べて、後陣痛はゆっくりと1ヶ月半かけて元に戻るようだ。

しかし痛みはそれだけではなかった。出産が終わると胎盤が剥がれることで母乳を作るホルモンが分泌される。私は早産で母乳まで知識が及んでいなかったので、出産した次の日から搾乳してくださいと言われ、赤ちゃんも目の前にいないのにどうやって出すんだろうと思ってしまった。母乳育児にはそこまでこだわりはないが、特に早産の赤ちゃんには母乳栄養が良く、実際に低出生体重児などのために母乳バンクもあるらしい。また、授乳をしているとホルモンのバランスで月経が来ないことが多いので私は積極的に搾乳を始めた。入院中は助産師さんに毎回母乳の出を確認され、最初は2.5mlほどしか出なかった母乳もだんだん量が増えてそれなりに出るようになり、私が退院した後もまだ入院中だった息子に搾乳した母乳を毎日届けた。面会では1日に一度か二度しか直接の授乳はできなかったが、息子が退院してからは1日に何回も授乳するようになると、猫背の背はさらに丸くなり、乳腺の張りはずきずきし、乳首は裂けるように痛い。友人たちは慣れれば大丈夫、と口を揃えて言う。大変なことが他にもたくさんあって過ぎてしまえばもう忘れてしまうようなことなのかもしれない。私は今現在、痛くて苦しんでいるが……。

今まで幾人もの女性がこの痛みに耐えてきたのか。18世紀、スウェーデンの博物学者カール・リンネは自分の子は自分で授乳することを推進し、動物に共通するいくつかの特徴からあえて雌にしか共通しない、それも産後にしか分泌されない乳汁に注目して私たちをママリア(哺乳類)と名付けた。

母乳は血液からできている。その血液を持つ私たちの身体を、私たちの言葉で表すことはできるのだろうか。


【プロフィール】

本間メイ(ほんま・めい)
アーティスト/Back and Forth Collectiveメンバー。
1985年東京都生まれ。現在、東京とバンドン(インドネシア)拠点。2009年女子美術大学芸術学部芸術学科卒業。2011年チェルシー芸術大学大学院ファインアーツ科修了。近世から現代にいたるインドネシアと日本の歴史的関係のリサーチを基点に、資料やアーカイブといった公的なドキュメントのみならず、小説や日用品、作家自身が現地を歩き、映像を撮影するなど多角的なアプローチを取り入れ、現在にも通ずる社会・政治的な問題や多国間における関係性を考察する映像作品やインスタレーションを発表している。近年は見過ごされがちな女性に関する歴史を主に扱う。
主な個展に「Bodies in Overlooked Pain -見過ごされた痛みにある体-」(黄金町エリアマネジメントセンター、2020年)。主なグループ展に「Instrumenta #2 MACHINE/MAGIC」(National Gallery of Indonesia、2019年)、「つぎはぎの『言葉』(字 ことば kata eweawea)」(トーキョーアーツアンドスペース本郷、2018年)、「Quiet Dialogue:インビジブルな存在と私たち」(東京都美術館、2018年)など。

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【インフォメーション】

Back and Forth Collective「Feminists in Collective Practice-実践を共にする-」
OPEN SITE 5|公募プログラム【dot部門】
会期:2020年12月17日(木)〜20日(日)
会場:トーキョーアーツアンドスペース本郷 スペースC(3F)
イベント詳細:https://www.tokyoartsandspace.jp/archive/exhibition/2020/20201217-7028.html
料金:無料|各イベントは要予約