VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.22

Posted : 2013.02.25
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横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。 「アートとは?」と問い続ける連載です。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2013年2年25日発行号に掲載したものです。

第22回:再び写真について
-『ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家』展をめぐって

報道写真と美術の文脈としての写真

これまで、横浜美術館の企画展として、写真、とりわけ現代の写真の動向を示す展覧会を3回企画したことがある。最初に手がけたのが、1997年の「現代の写真I 失われた風景―幻想と現実の境界」、後の2回は、2000年の「現代の写真II「反記憶」」、そして2004年の「ノンセクト・ラディカル 現代写真III」だった。ここで展示した作品は、この原稿がサイトにアップされる時には、まだ開催されている「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展(3月24日まで横浜美術館にて開催)とは趣が異なっていた。美術の文脈における写真とでも言うべきだろうか、いずれにせよ、キャパの写真のような報道写真ではない。では、この美術の文脈における写真なるものと報道写真にはどんな違いがあるのか。

今更ながら、写真の普及率は他のメディアの追随を許さないし、デジタル化された写真は、スマホでも簡単に撮影できるようになって、ますます身近なものとなっている。そして、写真は、美術の分野の一翼を担うメディアとしても認知され、横浜美術館はもとより国内の美術館のコレクションにおいて重要なパートを占めている。とは言え、美術館が写真のすべてのジャンル(肖像写真、風景写真、家族アルバム、観光写真、報道写真等々)を満遍なく対象にしてきたわけではない。というよりも、そもそも18、9世紀に世の中に初めて登場した美術館にとって 、1839年に発明された写真は、今日と同様の事情を抱えていたので、写真を本格的に美術館がコレクション対象ジャンルとして扱いはじめるのは、20世紀に入ってからだった。つまり、当時も写真は、ファイン・アートとして絵画や彫刻等と等価値に扱われてきたわけではなかった。美術の主流に食い込むために、同じ平面な作品ということで、絵画を追随するような写真が指向はされたが、一般的には、それ以外の例えば肖像写真などは実用の産物くらいの認識しかなかった。いわんや後発の日本の美術館では、概ね1990年代以降、写真に美術としての市民権を与えることになるので、美術館が写真を扱うというのは、僅かこの20年余りの間の出来事に過ぎない。

さて、今日、美術の文脈で語られる写真の歴史は、1880年代から1910年代のピクトリアリズムの誕生とその展開が、ある一定の流れを有しており、また、20世紀に入ればシュルレアリスト達にとっての重要な表現メディアとなった。1970年代以降今日に至るまで、写真は現代美術の文脈においても自律したジャンルとして位置づけられ、美術との間で言わば相関的な関係を作り上げてきた。従って、こうした意味で現在では、美術館で写真を収蔵し、展示し、鑑賞するということに、もはや違和感を抱くこともなくなりつつある。

ここで冒頭に戻って、自身が企画した写真の展覧会についてだが、当時、1990年代では、まだ写真を巡る言説は19世紀的な原則を引きずっていた。どういうことか。それを支えた環境の一つに、アナログ写真がまだ主流であったことがあげられると同時に、この時期は、アナログ写真からデジタル写真へ移行する過渡期でもあった。デジタルカメラは、すでに1986年に登場していたが、何百万もの値段で一般大衆からは遥かにかけ離れたものだった。数万円代で市場に登場し普及するには、それから約10年を要した。つまり、最初の現代の写真について企画した1997年は、アナログ写真が未だ主流という環境だった。そうした背景を押さえつつ、例えば、実際に展覧会の作品として選んだジェフ・ウオールの作品について見てみよう。このカナダの作家は、写真を制作するためにすべてをセット・アップする。ある場面を設定し、プロの俳優を選び、そこで繰り返し同じ動作をさせ、納得の行くまで続けさせる。出張の折りに宿泊していたホテルをチェックアウトするビジネスマン、床をモップで清掃する清掃業者など。演技で始めたそうした動作が所作に変化し、やがて没入する動作が自然な、つまりビジネスマンそのもの、あるいは清掃業者そのものに成り代わるその瞬間をジェフ・ウオールは捉える。とは言え、それは結果として、「やらせ」の写真となる。写真というのは、それを鑑賞する側は、そこに真実こそ期待できなくても必ず事実はある、という前提条件を無意識のうちに設定する。これは、写真が誕生して以来の原則だろう。「やらせ」という言葉には、だから、事実と思っていたのにそうではなかった時の裏切り、失望、そして怒りにも似た心情が込められている。では、絵画ではどうだろうか。近代絵画の代表的な画家マネの「鉄道(The Railway)(1873)』で、マネは知人に依頼してパリのサン・ラザール駅を見下ろす鉄柵のある街路でポーズをとらせた。まるでスナップ写真を思わせるこの作品で、こちらを向いている女性は画家でもあり、マネの作品にしばしばモデルとして登場するヴィクトリーヌ・ムーラン、鉄柵に手をやり向こう側を眺めている少女は、友人の画家(マネの隣人でもあった)アルフォンス・イルシュの娘である。この作品を鑑賞するにあたって、そうした解説を読まずに観たとして、後で、制作方法を明かされて、裏切られたと思うだろうか。散歩の途中で出くわした母娘?をモデルにした、と思ったら、そんな事実があったのか、といった感想はあるかもしれないが、これは「やらせ」ではないか、と憤慨することは恐らくないだろう。何故か。そもそも我々は絵画に事実を求めていないからだ。

ところが、知人から写真を見せられた時に最初に発せられる言葉は、「これは何処?」あるいは「これは誰?」、そして「何時撮った?」だろう。なぜなら、この3つの問いは、写真のすべてを語ることになるからだ。これが、絵となれば、見せられた方の関心事は、「なんと上手な」か、あるいは「何と下手なことか」と、まずはその再現力に関心を示す。これは、まさに写真におけるプレゼンテーションと絵画のリプレゼンテーションの違いを端的に示している。いずれにせよ、こうした違いが、まだ1990年代には写真を巡る言説として根強く、残滓のごとく残っていたのだ。ジェフ・ウオールの意図は、まずは、そうした写真への「信頼」を裏切ってみせた、ということである。つまり、先述した、写真における被写体、場所、撮影した時間の三原則を、ジェフ・ウオールは無効にすることで特定の「表現」を獲得したのだ。そして、当時の筆者は、これは、今こそ展覧会に選び、是非作品を世間に見せたい、と望んだわけだ。なぜなら、当時まだジェフ・ウオールのこうした意図は、「新鮮」であったからだ。そして、ジェフ・ウオールをはじめとする当時の現代美術作家や写真家にとって、未だ写真に寄せられる事実への根強い信頼は、それ自体が格好の表現素材となった。つまり、1枚のプリントはあくまでも事実、いやその事実の一片を示しているにすぎないという暗黙の了解が横たわっており、事実かそうでないか、というせめぎ合い、あるいは、事実を伝える事に固執することから生じる破綻を見いだすことが、美術の表現を生む動機となったわけだ。

アナログ写真からデジタル写真へ

ところが、2000年に入ると写真を巡る環境は一変する。事実としての写真は、それが置かれる場=文脈、そしてそこに添えられるテキストによって、正義の表象が、悪の表象にすり替わるといった前提そのものが崩壊してしまう。というのも、何が正義で何が悪か、という大前提が崩れてしまったからだ。ちなみに、キャパ展における、キャパとタローは、反全体主義、反ナチズムという視点で報道を展開していた。それは、旧ソ連をはじめとする社会主義国家の代理戦争の様相も呈していたし、以降、冷戦終結まで、二項対立の構図が続くのは歴史の示すところだろう。いずれにせよ今日では、こうした構図も消え去り、また同時に、写真を巡る環境が、デジタル社会の中で、揺らぎ始める。例えば、報道メディア以外に、SNS等を通じて様々な写真のイメージが配信され、一つの写真によって決定付けられてきた事態の有り様は、その前後の夥しい数の市井の人々、あるいはその事態の当事者たちの写真によって埋め尽くされる事になった。もはや、一つの「決定的瞬間」は、複数の瞬間の点によって、幾つもの線が引かれる事になったのだ。かつてジェフ・ウオールによって呈された疑義は、今や無名の人々の画像が提示する新たな「事実」の出現によって解消され、一定の役割を終える事になる。今更、現実の虚構の狭間などというようなナイーブな状況設定は無効になってしまったのだ。

一方、先述したように、ロバート・キャパの写真は、報道写真ということもあり、そこには事実と、さらには受容側の欲望も相まって真実が要請される。この事実から真実へのシフトには、神話形成のシステムと重なるある種の意図が介在することは指摘しておかなければならないだろう。作家沢木耕太郎がその真贋の疑義を示したキャパの「崩れ落ちる兵士」はその典型だろう。無名の兵士の死が、スペイン内戦を表象し、戦争写真の表象として祭り上げられたプロセスは、まさに神話形成のシステムにリンクするだろう。そして、「死の瞬間」を捉えたこの作品は、「決定的瞬間」という言説にも収斂されていくのである。もっとも、こうしたイメージを巡る神話形成は写真に限った事ではない。エコール・ド・パリの画家達や、あるいはゴッホ等の近代以降の画家には、例えば「悲劇の画家」といった形容詞によって神話化されてきたのだから。

いずれにせよ、デジタル写真の登場は、既述したような、写真のアマチュア化を際限なく拡げた。誰もが撮影でき、しかも、それを身近な人々どころか、世界中に配信出来るようになった。世界に唯一の「決定的写真」は、数多くの様々な角度から撮影された写真によって取って代わられようとしている。

美術館が、近代の美術、あるいは美学の約定に従って、言って見れば美術の仲間に入るべき、あるいは入るべきではない写真を選別してきた。こうした選別の理論武装は、1990年代にピークとなり、例えば、フォーマリズムの脱構築的な批評を展開するロザリンド・クラウスは、1982年の論文「写真のディスクール空間」で、次のような警鐘を鳴らしている。「近年の写真史家たちは、19世紀の写真が美術館に収まるべきであること、諸種の美学的ディスクールがそこに当てはまること、美術史のモデルはこの題材にうまく対応させられるということ、これらのことを決めてかかって、実に多くのことを(時期尚早にも)決定してしまった。」

写真と美学的ディスクールとのミスマッチは精査されるべきとは言え、現代の美術が、もはやその美学的(近代の)ディスクールから逸脱しはじめている以上、この言説そのものが限界を迎えているのでないか。このことを含めて検証しなければ、美術と写真の間の齟齬は、いつまでも続く徒労にも似た議論に終始するだろう。

備考:本稿は、横浜美術館で企画された「ローバート・キャパ / ゲルダ・タロー 二人の写真家」展のロバート・キャパの図録(マグナム東京出版)に寄稿したテキストを大幅に加筆した。
また、ジェフ・ウォール作品については、マイケル・フリードのフランス近代絵画の演劇的/没入的伝統の文脈において再検討されるべきだが、ここでは紙面の都合上割愛した。

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員

 

 

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2013年2月25日発行号に掲載したものです。