VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.21

Posted : 2012.12.25
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横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。 「アートとは?」と問い続ける連載です。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2012年12年25日発行号に掲載したものです。

第21回:批評、主題についての雑感

専門的な批評、受容者の批評

横浜美術館で開催されていた奈良美智展は、9月16日で終了した。63日の会期で、166,410人の入場者を得、有料入場者の割合は83%だった。ちなみに、2001年に最初の奈良美智の個展を開催した時は、開催日数 53日で入場者数 92,239人。これも記録的な数字ではあったが、二度目もまた当館の現代美術作家の展覧会の入場者数としては記録を塗り替えた事になった。現在の指定管理者である横浜美術館としては、まずは、この数字は誠に有り難いとしなければならない。昨今のこうした制度では赤字は命取りになるからだ。赤字を出しても補正で何とかなる時代は過去の話だ。

奈良美智展、横浜美術館会場

奈良美智展、横浜美術館会場

 

奈良美智展、横浜美術館会場

奈良美智展、横浜美術館会場

 

さて、横浜美術館は、11年を挟んで二度の奈良美智の個展を開催した。詳細なデータは今用意出来ないが、今回の受容者(観者)の世代の広さには驚かされる。さすがに1回目の2001年は、20~30代の世代が目立ったが、今回は家族連れや高齢の世代も目立った。人気のある美術家であれば、テレビをはじめとするメディアの露出も相当な数にのぼるが、ツイッターやフェースブック等のSNS(奈良展会期中のフォロワーは4,000人)の情報交換は、とりわけ無視出来ない効果があったようだ。SNSは、良い評判のみならず主催者として有り難くない事も語られるのだが、いずれにせよ、ここでは、受容者同士の「批評」活動が、直接に入場者の数字に跳ね返るというのは無視出来ない「システム」だろう。つまり展覧会という市場の消費者=受容者が、同時にアマチュアの「批評家」として機能しはじめていることは、決して小さな問題ではないように思える。

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モダニズムにおける美術作品の価値判断が、批評と市場によって行なわれてきたことはこの連載でも繰り返し述べてきたが、プロフェッショナルとしての批評の機能が、今や不全とは言わないまでも、相当低下している。その理由の一つには、専門的な批評がこうした受容者の「批評」に取って代わられようとしているからかもしれない。さらに、美術雑誌はおろか、雑誌業界全体の疲弊ぶりは依然深刻な状況であり、批評を支えるインフラの構造自体が変容しようとしていることも大いに影響しているだろう。また、本来の批評の機能の低下が、美術家=制作者と市場の関係を極めて直接的なものとして結びつける要因の一つになっているように思える。

ところで、美術家にとって「プロフェッショナル」と「アマチュア」の関係についてどう認識すれば良いだろう。一般的に考えれば、制作をした作品を売る事で生活を成り立たせているかどうかでその区分けが行なわれるのだが、実際のところ、その基準を満たす美術家は極めて少ない。では、多くの美術家は「アマチュア」ということになるのだろうか。美術家の近代における表象については、三浦篤の「近代芸術家の表象」に詳しいが、果たして現代の美術家はどういった表象として認識されているのだろうか。自律した社会的存在としての美術家という職業を選択することは、生活のリスクを担いながら、「純粋」に美を追究するものとして称揚され、一方、大学の教員等他の職業によって生活を担保しながらの美術家としての活動は、言わば「不純」な存在として認識される。学問分野でも、在野はワンランク下に位置づけられることに似ていなくもない。しかし、こうした属性についての関心は、美術であれば美術関係者、学問であれば研究者をはじめとする学問関係者、といった具合に所謂「関係者」に限られたことではないだろうか。受容者側にとって重要なことは、有り体に言えば、その作品が「面白い」かどうか、にあるわけで、それ以外は関心の対象ではない。この傾向が進んでポピュリズムを生んでいるのだが、近代における美術の受容者が、新興の中産階級に取って代わられて以来、基本的にはあまり変わりのない事態なのかもしれない。そして、美術家像もまた、そのプロフェッショナルな側面をどこかに置いたまま、その作品が、表層的に評価されはじめた。一体、何を持って「優れた作品」とするのか。そして、一体誰が、美の基準を判断する役割を果たすのか、あるいは果たし得るのか、その加担者でもある美術館も含め、今後の大きな課題の一つだろう。

作品における主題についての趨勢

さて、ここでのもう一つのトピックは、9月からカッセルのドクメンタ、リバプール・バイアニュアル、台北ビエンナーレ、シンガポール美術館と作品調査を重ね、そこから見えてくる現代美術の一つの趨勢を紹介しておきたい。それは作品における主題についてである。

作品における主題について改めて述べることについて、違和感を持たれるかもしれない。少なくとも美術作品には何らかの主題はつきものであるし、今主題があることに殊更見いだすべき何物かがあるというのはいかにも面妖な話かもしれないからだ。ただし、今日の美術を近代の美術の文脈の中で位置づけるとすれば、この「主題問題」は俄然興味深い話題を提供してくれることになる。

19世紀の美術が、アカデミズムから批評と市場のスキームにシフトしたことは、すでにこの連載で何度か指摘した。そして、美術の受容層もまた特定の階級から広く市民階級へとシフトしたこの時代、絵画に要請されたのは、それまでの「歴史・神話・宗教」といった、それ自体が絵画の表象でもある主題からの脱皮であった。また、近代の美学的な言説が同時に絵画に要請したのは、そうした主題に象徴されるテキストの世界からの自律であった。従って、1870年代のマネの絵画の登場が、まさにそうした伝統的な主題によって担保されてきた絵画の鑑賞の作法を放棄し、当時の鑑賞者を路頭に迷わせたという意味で近代絵画の誕生と位置づけられる所以がその辺りにある。同時代の美術=現代美術が、難解である、という一般的な印象が刻印されたのもこの時期からだろう。主題は、たとえ特定の階級であったとしても、当時のマジョリティーが共有出来る記憶として認識されていたのだが、もはやそうした受容層が社会に見いだせないとすれば、広く共有される記憶は絵画からも消え失せることとなった。新たな近代の美学的言説に支えられた19世紀以降の絵画は、それ以前の、つまりアカデミズムに支えられた「歴史・神話・宗教」という主題と不可分であるという約定を解消することから始動したことは既に述べた。さらに近代美学は、そうした言説を強固に支持するため、芸術の受容における「感性」の優位性を説き、つまり、絵画の主題である「歴史・神話・宗教」に象徴されるテキストの世界から絵画は自律し、テキストに頼ることのない「純粋」な絵画を希求することになった。こうした流れの中で、写真は誕生し、人類がまだ観ることを経験していない事象を次々と発見し、撮影し、メディアとともに世界中に配信し始める。つまり、絵画によって「作り上げられてきた」イメージは、19世紀を境に「発見された」イメージに取って代わられることになるのだ。たとえ、その制作のプロセスにおいて、美学的言説から逸脱していたとしても、もはや写真が「発見」したイメージの影響から逃れることはできないと言うべきだろう。現に、多くが認識しイメージを容易に想起する美術の名作の数々は、写真を媒介にして記憶化されているのだから。

こうした絵画がテキストから自律し、絵画としての造形言語の純度を上げて行く流れと、写真、映像によって「発見された」イメージの普及は、ある意味で正反対の方向を進むことになるのだが、実際のところ、そのイメージから特定のテキスト=物語を想起させないように絵画の造形性の純度を高めると言っても、制作者の中から完全にテキストを排除することなど不可能な話だろう。また、そのことを受けたかのような揺り戻し現象として、近代の絵画が、1970年代後半から、新表現主義あるいはニューペインティングと呼ばれる具象的なイメージを前面に押し出す、それまでの抽象的表現とは異なる流れを形成した。80年代を通じて示されるそうした傾向は、それを後ろ向きの新保守として批判の対象となるのだが、そうした絵画の傾向は、個人的な心象として受け継がれることになる。ただし、いわゆるグローバルな時代の最初の10年を経て、好むと好まざるとに関わらず、人々は共通の問題=主題を抱えることになった。例えば、地方性=ローカリティの文化の衰退、あるいは逆にその復興、社会構造の変化に追随出来ないことで生じる社会問題、貧富、高齢化社会などは、けっして特定の地域の問題ではなくなった。

とりわけ、シンガポールでの調査で出会ったザイ・クニング(Zai Kuning)の「Riau」(2009)という映像作品では、インドネシアの島々を移動しながら生活するマレー系の海の民(Orang Laut)の生活が、近代という枠組みの中で、やがてその生活も、あるいは集団としての存亡の危機が差し迫っていることを語っている。ザイ・クニング自身は、映像の作家でなく、シンガポールのマレーをルーツに持つ音楽家である。ちなみに、その存在は、実は知る人ぞ知る人物で、音楽家の大友良英のブログにも登場している。(http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20080919

さて、クニングは、海の民の現状を知るに及んで、私財を投げ出して映像作品の制作にとりかかる。ノマドのような生活をする彼らを捜し出すだけで、一苦労する様子も描かれている。
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ザイ・クニング(Zai Kuning)の「Riau」(2009)  Singapore Art Museum collection(シンガポール美術館蔵)

ザイ・クニング(Zai Kuning)の「Riau」(2009)
Singapore Art Museum collection(シンガポール美術館蔵)

 

プロの映像作家でない分、彼らとの距離感の取り方が、いわゆるドキュメンタリーの映像のような客観性といったものとは異なる、つまり撮り手自身の当事者性も強く反映した作品となっている。

前回も触れたが、欧米中心の経済原理を主軸とする美術のシステムが、世界中に広がった末に起きた事は、「失われたもの」あるいは「失われようとしているもの」への希求である。こうした新たな主題の登場は、既述した19世紀を境にシフトする美術の主題の概念の範疇かもしれないが、ここには、その時よりもよりグローバルな共有意識が基底に在る。個別の主題が、やがて共通の主題に移行しつつある今、最新の現在美術の動向から目が離せない。

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。

 

 

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2012年12月25日発行号に掲載したものです。