VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.17

Posted : 2012.04.25
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横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。 「アートとは?」と問い続ける連載です。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2012年4年25日発行号に掲載したものです。

第17回:『貨幣・死・美術』その1

「死」を意識するとは

人が死に直面することは、その生を受けた時から宿命的に抱えざるを得ない事態だろう。死の瞬間は、重篤な状態をむかえた時や、突然降り掛かる天災によるものもあれば人災によるものもある。そうでなくとも、阪神淡路大震災や、3.11(東日本大震災)のような何千、何万の人々の命が一瞬にして失われる事態は、当事者でなくとも、自らの死を意識する契機になるだろう。あるいは、人がそれぞれの死に対峙することとは別に、集団として、あるいは国民国家という枠組みにおいての死は、どう意識されるのだろう。
そもそも、死は、生と分離されてはじめて観念としての死として現前化されるのだが、そうした事態が自明である以前、すなわち生と死が未分化である事態というのは、人とモノが未分化の状態であることを前提としていた。赤ん坊が、目の前にあるモノを次々と手にし、口にする状態というのは、まさにこうした未分化の状態を示しているのだが、自身の外にあるモノを物として意識化出来るようになって初めて人は「人称的」な人間となり、モノは「所有物」となる。そして、この場合の意識化とは、物理的な分離=距離化という行為を含意している。
さて、未分化な状態についてだが、余談ながら、かつて、沖縄の図書館で熱心に戦前(沖縄本土決戦以前)の土地利用の地図を調べている何人かの老人を見かけたことがある。本土決戦によって消尽された土地は、言わば人とモノの未分化の事態に初期化された。未だに、かつての土地の所有の区分をこうして確認する姿は、所有者と所有物の関係を取り戻そうとする行為に他ならない。
こうした所有者と所有物の関係が、等しく人間に付与されたのは近代以降のことであるのだが、一方、冒頭触れた死、正確には観念としての死は、人間特有のものとして規定される。人間が動物の中でも、その差異を示す最も特徴的な点は、死を概念化する抽象思考を有し、それを「墓」という表象に変換出来ることにあるからだ。大きな災害で、多くの人々の命が一度に失われたとき、少なくとも同じ共同体の生き残った人々は、その死を何らかの形で表象化し、観念化する。それは、葬送儀礼や墓という形をとりながら、死者たちとの切れることのない結合を意味する。

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(上)2011.5.10避難所(女川(宮城県牡鹿郡))で行なわれていた写真の洗浄。(提供:黄金町エリアマネジメントセンター) (下)2011.5.10女川(宮城県牡鹿郡)の港の様子。(提供:黄金町エリアマネジメントセンター)

(上)2011.5.10避難所(女川(宮城県牡鹿郡))で行なわれていた写真の洗浄。(提供:黄金町エリアマネジメントセンター)
(下)2011.5.10女川(宮城県牡鹿郡)の港の様子。(提供:黄金町エリアマネジメントセンター)

 

貨幣=資本主義と美術との関係


ところで、思想家・哲学者である今村仁司(1942-2007)は、その著『貨幣とは何だろうか』で、貨幣を死という視座で語ろうとした。今回は、貨幣と死がいかに結びついているのかについて触れてみたい。そして、その事が、なぜ美術とも関連しているのかについて試論してみたい。
この問題について入る前に、貨幣=資本主義と美術との関係について今一度確認をしておきたい。この連載でも、何度か繰り返してきたように、近代以降の美術は、「批評と市場」によって価値付けられ、歴史化されてきた経緯がある。これについて、最近その好例があったので紹介しておこう。
1960年から70年にかけて現れた「もの派」にたいする再評価である。「太陽へのレクイエム もの派の美術(REQUIEM FOR THE SUN: THE ART OF MONO-HA)」と題された展覧会が、2012年2月25日から4月14日にかけてBlum & Poeという商業ギャラリーで開催された。ニューヨーク在住の美術史家富井玲子によるこの展覧会のレビューが、朝日新聞に掲載された(2012.3.21/ http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201203230221.html)。富井は、本展の意義をこう記している。「「もの派」展は国内でも海外でも何回か開催されてきた。が、本展は、展示の美しさとインパクトで傑出しているだけでなく世界美術史という舞台で日本の現代美術がいかに歴史化に耐えていくか、という緊急課題に正面から取り組んだ点で重要だ。」そもそも、「もの派」をはじめとする60年から70年にかけての日本の現代美術は、必ずしも、「世界美術史」という文脈で正当な評価を獲得してこなかった。その理由について富井は、「美術には審美的・学術的評価とは別に、作品のモノとしての市場的評価があるからだ。これは単に商品売買の問題ではない。個人コレクターに収集され、さらには美術館の収蔵品となることでモノとしての評価が固まっていく。これが学術的評価と連動して総合的評価となり歴史に定位置を確保する。」ということで、この展覧会の会場が、美術館=審美的・学術的評価ではなく、商業画廊=市場的評価でなければならない理由がこの辺りにあるのだ。

貨幣と死の関係—今村仁司による指摘

この近代の新たな評価システムは、同時に近代社会のすべてのシステム、つまり経済システム、社会システムにおいて、その強化の網を張り巡らしてきた。今村は、「近代の経済システムは、物の生産、交換と流通、分配であり、人間関係が物の関係をとおして処理され、経済的人間そのものが物的関係となっている。」と指摘する。貨幣の近代社会における浸透は、「・・・近代に入ると、人は死を生命保険会社のようにあつかう。・・・貨幣的なものが宗教にも浸透していくのである。・・・事実において信仰はついに貨幣との交換物になっていく。」といった事態も指摘する。そして、「・・・宗教組織が誠実な信仰者との共同体から物的制度になるのも貨幣の効果である。」と説く。
システム化とは、すなわち制度化を意味する訳だが、人は、死を意識する契機を通じて、観念としての死の内在化を余儀なくされるとともに、墓や葬送儀礼を通じて制度としての客観化を行う。場合によっては、美術家が、そうした共同体の共有すべき死の観念を作品という形で提示することもある。例えば、美術家の土屋公雄が、11個の柱時計をロープで吊るし、 それぞれ広島原爆投下や阪神淡路大震災といった歴史的出来事の起こった時間で針を止めた作品「ある時」は、歴史的な死を外在化するという行為の例の一つだろう。
さてところで、今村の著書は、ドイツの哲学者ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』を一つの重要な手だてとしている。この連載の第10回でも指摘したように、「かつては、お互いに顔を見合わせながら生活を営んでいた社会構成が、近代都市の形成以降、顔を知らないもの同士によって社会が形成されるようになってしまった。」というのが近代社会である。ジンメルもまた『近代社会における貨幣』(1898)の冒頭をつぎのようにはじめている。
「中世の人間は、村や領地、封建組織や協同組合組織に、逃れがたく組みこまれていた。その人格は、即物的な、あるいは社会的な利害関係のなかに渾然ととけこんでおり、利害関係のほうもまた、それを直接担っている人物たちによってその性格が決められていた。この両者の一体性を近代が解体する。近代は一方で人格の自立と、それまでとは比較にならぬほどの内的・外的な活動の自由を与え、他方で、即物的な生活内容にも同じく、それまでとは比較にならぬほどの客観性を付与した。」

人間性回復のチャンス

例えば、2011年の横浜トリエンナーレの出品作家島袋道浩も、かつて阪神淡路大震災を経験した中から、お互い身も知らぬ同士が声を掛け合い、助け合う姿を目の当たりにしたことを証言している(http://www.shimabuku.net/work3.html)。

1995.3.11 島袋道浩《人間性回復のチャンス》1995 神戸、須磨(撮影:島袋道浩)

1995.3.11 島袋道浩《人間性回復のチャンス》1995 神戸、須磨(撮影:島袋道浩)

そして、その成果は、「人間性回復のチャンス」として結実する。営々と築き上げた社会システムは無効になると、人間同士の結びつきだけが有効となる事態に陥いる。その風景は、例えば、ロビンソン・クルーソーが難破し、漂流した島で、ぼろぼろになった貨幣を見て語る次の台詞と重なる。
「お前は何の役にも立たないのだ。お前は私にとって、拾い上げるだけの価値もないのだ。・・・私はお前には用がない。その儘ここに残っていて、助かる値打ちがないものとして海底に沈むがいい。」
これは、吉沢英成がその著『貨幣と象徴』引用したものだが、吉沢は続けて「現代が、貨幣を哲学することに与えているであろう位置づけは、ロビンソンが貨幣に与えたこの評価と相似ている。」つまり、それが有効な社会システムにおいて、単なる交換手段として貨幣を論じたとしても、そこからは何も生み出さないだろう。今村も言ってるように、そこには文化における「普遍妥当性」など得られるものではない。

無関心性についてー法、知性、貨幣、そして美

ジンメルは、空虚な形式をもつ無差別的一般性としての普遍的妥当性について、内容における無関心の形式があることで、圧倒的な支配力をもつことを指摘する。これは、貨幣の「素材形式」ではなく「媒介形式」の優先を前提としている。今村によれば、「人類の歴史のなかで、なぜ商業あるいは貨幣経済がかくも強烈な力をもつのか、知性の論理形式や法的形式がなぜこれほどまでに人間の生活にとって拘束力をもつのかは、それらの内容や素材を見てもわからない。それらは善も悪も抱摂する空虚な形式であるからこそ、社会関係の秩序を構成する原動力になる。」そして、ここでは、「金は場合によっては人間を堕落させる」といった金言に示されるように、媒介形式としての貨幣は、善であり、同時に悪魔的である。ジンメルの次のような言葉はそのことを否応なく突きつける。
「法と知性と貨幣の三つのすべては、個人的特徴に対する無関心によって特徴づけられる。・・・それゆえこの三つはすべて、それらの本質よりみてどうでもよい内容に対し強力に形式と方向とを指令することによって、われわれがここで扱っている矛盾を不可避的に生の全体へともちこむのである。」
一方、この無関心性について、カントの『判断力批判』における自由美における無関心について触れる必要があるだろう。人間にとって相対的な感情を伴う関心性にたいして、主観的ではあるが、普遍的妥当性を伴う無関心性にこそ真の美が存在することがここで強調されるのだ。つまり、一切の関心のなさが、それゆえ、普遍的な美を生む契機となるというわけだ。(続く)

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。

 

 

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2012年4月25日発行号に掲載したものです。