VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.14

Posted : 2011.10.25
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「横浜トリエンナーレ2011」キュレトリアル・チーム・ヘッドをつとめる、横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2011年10年25日発行号に掲載したものです

第14回:説明を要する現代美術2-作品の実体はどこにあるのか

ヨコハマ・トリエンナーレ2011 開幕

前回の続きとは言え、ここでいきなり「作品とキャプション」の話題ではいかにも芸がない、さすがにすでに開催したヨコハマ・トリエンナーレ2011について、冒頭から書き出さないわけにはいかないだろう。
ヨコハマ・トリエンナーレ2011は、8月6日に予定通り何とか無事開幕した。何とか無事開幕した、というのも、昨年来、トリエンナーレの開催を危ういものにする幾つかの外因が、無論3.11の震災も含め、少なからずあったからだ。民主党政権成立後の仕分けによって、主催者の一つである国際交流基金がその立場を下りざるを得ない状況になったことは、財源の一つを失うことも意味し、横浜市側ですべてを賄う可能性が果たしてあるのかどうかの議論もそれこそ侃々諤々交わされた。しかし、文化庁が財源の支援を実現させたこと、そして、横浜市長の英断もあって、ようやく実現に向けての舵がきられたのある。
今回のトリエンナーレは、事実上、主会場は、横浜美術館とBankART Studio NYK(日本郵船海岸通倉庫)の2会場である。会場の数ということで言えば、2005年の第2回展の山下埠頭の倉庫1カ所(中華街や山下公園での作品展示はあったが)という経緯もあるのだが、何よりも、美術作品を展示するための施設である横浜美術館が、主会場の一つになったことは、過去3回のトリエンナーレと大きく異なる点だろう。そのことには、単に美術作品を展示するに相応しい場としての横浜美術館という以上の意味がある。
これまでトリエンナーレで使用されていた場所は、概ね、倉庫、あるいはもともと倉庫であった施設をリノベーションして展示場として生まれ変わったところだった。例えば、2001年、2008年では赤レンガ倉庫等が使用された。ビエンナーレやトリエンナーレという名の下に行われるのは、「展覧会」というよりは「祭典」や、あるいは抽象的だが「国際展」というジャンルめいた名称の響きを期待するところがある。例えば、「横浜トリエンナーレ」は、「現代美術の国際展」であるし、「あいちトリエンナーレ」は「3年ごとに定期的に開催する国際芸術祭」と銘打っている。

会場風景 photo:天野太郎

会場風景 photo:天野太郎


「ヨコハマトリエンナーレ」に期待・要請されること

「展覧会」とこれら「国際展」と「国際芸術祭」の違いは何を意味しているのだろう。19世紀からはじまった「博覧会」は、今日に至るまでさまざまな国で、その都度テンポラリーなパビリオンによって開催されている。恒久施設である博物館と「博覧会」の関係は、まるで「国際展」、「国際芸術祭」と恒久施設=美術館における「展覧会」との関係に似ている。そもそも美術館、博物館は、展示を行うことだけが目的ではない。何よりも、そのコレクションを保存し、管理することがもう一つの大きな使命である。博覧会の会場である展示施設は、展示のための展示場にすぎないので、作品が展示可能な環境さえ整備されていればよいことになる。ところで、コレクションを有する美術館では、作品を展示することと、保存・管理するという行為は、相反する行為でもある。作品の状態を劣化させないためには、温室度の管理が行き届いた暗室のような部屋で、動かさずに保管しているのが理想的だからだ。だからこそ、多くの美術館のコレクションは、一年の間に何度か展示替えを行って、できるだけ収蔵庫に保管される状態を保っている。
作品を展示する場合でも、たんに「展示」するだけではなく、そこに解説を添えたり、あるいは、ギャラリー・トークといった教育的なプログラムを組織しながら、作品鑑賞を提供することは、今ではほとんどの美術館が日常的に行っている。こうしたことが日常化することで、美術館で、「展覧会」を「鑑賞」に訪れる来館者は、こうしたプログラムを享受することを期待している。あまりにも、不親切(作品のキャプションしか提供されていないような場合)であれば、美術館にたいして教育的プログラムの充実が強く要請される。ところで、今回のトリエンナーレが、予想外の入場者数を刻んでいることもあり(10月8日現在、主要2会場で約16万5千人)、こうした普段の展覧会における細やかな対応が事実上不可能である事、同時にそもそもこの「催し」に来場する人々が、「展覧会」というよりも「ショーケース」的なスペクタクルを期待している節(アンケート等で定量、定質的な分析は必要だか)がある事もあって、制度としての美術館の属性とそうした振る舞いの間に齟齬が生まれているように思える。それは、受容者側においても、同様の現象が見られる。例えば、「展覧会」を期待する受容者と、エンターテイメントを期待する受容者において、こうした齟齬が生まれる背景には、この「催し」を巡る命名とそこから導かれる要請が少なからず影響しているように思える。ちなみに、今回のトリエンナーレのレビューの結語だけを引用してみると、ざっとこんな風になる。「第1回開催から10年。その後、地域おこしの一環として各地に同種の祭典が広まった。会場や運営主体が変遷する中、ヨコハマトリエンナーレの独自色や存在意義をどこに見いだすか。震災の影響が色濃く表れた今回に続く、次回以降の課題だろう。」(中国新聞、2011.9.6)
「横浜トリエンナーレは「転換点のスタートラインに立ったところ」と逢坂館長は見る。普遍的なテーマを掲げつつ、町ぐるみでイベントを育てていけるのか。10年を経て、従来の国際現代美術展の役割に再考を促したともいえる。」(日経、2011.8.15)
ここでは、この「催し」への要請として、展覧会としての「トリエンナーレ」、エンターテイメントとしての「トリエンナーレ」に加えて、さらに社会制度的な課題(街おこし、地域社会における美術を超えた役割)が付与されようとしている。
尤も、現代美術そのものが、同時代性を色濃く反映する分野であることから見れば、こうした器としてのビエンナーレやトリエンナーレ自体に、地域おこし、地域連携や市民協働といった同時代のトピックが要請されるのは当然と言えば当然なのかもしれない。しかし、美術館で企画される展覧会としての現代美術展に、ここまでの期待を寄せられる事はないだろう。
ところで、一般にも美術の展覧会と美術館がストレスなく直結していると仮定して、今回の「ヨコハマトリエンナーレ2011」と横浜美術館の関係において、果たして美術館という名称が指し示す実体とは何なのか?という別の興味が導かれる。例えば、横浜美術館という固有名詞は、その建物の名前にすぎないのか、あるいは、美術を普及するという機能を指すのか。3年に一度の美術の国際展として紹介される横浜トリエンナーレそのものの実体とは、今後、それが展覧会という言葉に還元され、かつ実施される(であろう)横浜美術館を実体として有するのか。恐らく、今回のトリエンナーレの来場者の多くは、美術館での「美術作品の鑑賞」を終えたとき、ワークショップ機能や図書、情報機能といったような、美術の複合的な機能を持った横浜美術館の実体に気づくことはないだろう。なぜなら、「ゴッホ展」であれ「奈良美智展」であれ、それを開催する横浜美術館自体がそれらを指し示している訳ではないからだ。きっと彼ら、彼女らは、誰かにどこに行っていたのか、と聞かれて、まずは、開催されている展覧会の名称を、ここでは、「横浜トリエンナーレに行ってきた」(本当は、「ヨコハマ・トリエンナーレ2011」と言ってもらいたい所だが)と、答えるだろう。横浜美術館は、「何処で?」という次の問いでようやく名前があがることになるのだ。まるで、単なる場所として。

作品の実体、「横浜トリエンナーレ」の実体

前回の続きということであれば、まず触れるべき尹秀珍(イン・シウジェン)の作品《ワン・センテンス》についてだが、この作品は、仏教における煩悩の数108に因み、108人の年齢、性別関係なく提供してもらった上着、下着、靴下までが素材として使われている。集められた素材を数センチ幅に帯状に切り、それをコイルのように巻き込んで、まるで映画のフィルムケースのような容器に隙間なく収められている。完結した一つの文章(ワン・センテンス)のように、それぞれが、一人の人間として自律した個として在る、という姿を示そうとしている。ここでの、アーティストの役割は、108人の人々に作品の構想を説明し、納得してもらったところでそれぞれの服を提供してもらうこと、そして、それを切ることである。この作品に介在しているのは、そうした人々、そして、注文に応じて容器を製作した人ということになろうか。
あるいは、もう一人の出品作家トビアス・レーベルガー / Tobias REHBERGERの「他者」という作品はどうだろうか。

トビアス・レーベルガー「他者」 poto: Kioku

トビアス・レーベルガー「他者」 poto: Kioku

この作品は、展示室の高い天井から40数個のガラスのランプがつり下げられたものだ。「他者」というキャプション以外に何の解説も添えられていなければ、来館者は、普段見慣れない風景にちょっとした驚きを見せて去って行くだけだろう。ここでの、言わば仕掛けは、ランプの電球のスイッチのオン・オフが、それが展示されている所にあるのではなく、横浜市内のある家庭の子供部屋にあるというものだ。つまり、作品としてのランプの光が点いているか、消えているかは、その子供の事情次第ということになる。この「他者」というタイトルによって示されるのは、現に眼の前にあるモノとしての「ランプ」なのか、あるいは、来館者にとっては匿名の誰か=他者、この作品をある意味で支配している子供が、その実体なのか。
ついでながら、このアーティストが自らの手によって作り出しているのは、モノとしてではなく、言わばそのアイデアにすぎない。イン・シウジェン同様、美術作品の制作者=アーティストという考え方は、ここでは通用しない。では、制作者とアーティストがイコールでないとすれば、作者を体現するものは、一体どこに存在するのだろうか。これは、もう入れ子状態の構造と言わざるを得ない。タイトルとしての「ヨコハマ・トリエンナーレ2011」の実体を形成するモノの一つである出品作品の実体が、それを展示している横浜美術館にだけ在るのではなく、不可視の場にもしっかりと存在しているということはどう考えれば良いのだろうか。そして、今のところ明快に「展覧会」=「横浜トリエンナーレ」でないとすれば、「展覧会」の実体としては十全に機能してきた横浜美術館は、この新たな課題とも言うべき「横浜トリエンナーレ」の実体としていかに振る舞い得るのか。いささか厄介ながら、奥深い問題を提示されているのだ。

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。横浜トリエンナーレ組織委員会事務局
キュレトリアル・チーム・ヘッド。
※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2011年10月25日発行号に掲載したものです。